2011年04月16日

日本人のためのキリスト教神学 (12)

日本人の汎神論とキリスト教 (2)


 
 いま私たちが手にしている聖書は、汎神論的感覚ではなく多神論的な感

覚の中で、多くの神々を信じ、様々な神々に仕えていた人々に対して与え

られたものです。聖書は多神論文化の人々を読者に想定した書物です。




 イスラエル人は一神教だったではないかと、すぐに反論が起こりそうで

すが、ユダヤ人は常に多神論の脅威にさらされていた民族です。だからこ

そ、聖書は偶像礼拝の罪を激しく責めているのです。教え導かなければな

らなかったイスラエルの人々が、多神論的感覚の中に生きていたために、

天地創造の神は、多神論的感覚の人々に対しての自己啓示、すなわち自己

紹介をしてくださったのです。




 太陽の神、月の神、星の神、風の神、川の神、鰐の神、河馬の神、牛の

神、犬の神、猫の神、あるいは豊穣の神、多産の神と、際限なく続く多神

教の中に生きる人々に対して、「本当の神はそのようなものではなく、天

地万物を造った神だ。それが私だ」と、自己紹介してくださったのが創世

記の始めの天地創造の物語です。




 実際のところ、神の自己紹介も容易ではありませんでした。何しろ「神」

という概念が、多神教のそれではあまりにも低級で、無限の神、全能の神

を表現する言葉には向かなかったのです。でも、人々が普段使っている

「神」という言葉を借用する以外に、神を表現する方法がなかったわけで

す。日本語の「神」が、聖書の神を表現するにはあまりにも足りなくて、

それが日本の宣教の妨げになっていると説く人がいるのと同じです。




 私たちはいま、聖書が書かれた土地と時代の文化とは遠くはなれた日本

で、多神論の感覚ではなく、むしろ汎神論的感覚の中に生きています。日

本人の多くは、多神論を幼稚なものとあざ笑っているのです。ですから、

たとえ同じように天地創造の神を紹介するにしても、少しばかり道筋を変

えることが出来ると考えるものです。




 日本人は、目に見えない神の永遠の力と栄光を認めています。聖書の言

葉ではピッタリと表現できませんが、目に見えない神の目に見えない力と

恵を認めて生きています。その力に生かされ、恵に支えられて命を営んで

いると、感じています。理論的な説明ではなく、まさに「感じて」、感謝

を捧げているのです。親に対する感謝、先祖に対する感謝、そしてさらに

その背後におられる、目に見えない大きなお方、恵に富み慈愛に満ち、あ

らゆるよいもので私たちを祝福していてくださる方を感じて、折に触れて

は手を合わせ、頭を垂れるのです。




 大きな神社の前でかしわ手を打つこともあります。小さな社の前に佇み、

静かに祈ることもあります。それぞれの神社や社には、それぞれが祀るそ

れぞれの神があります。でも一般的な日本人はその様なことには無頓着で

す。それらの表面的なことの向こうに、大きく、強く、気高く、優しい、

目に見えない方がいて、自分の命の元となっておられるお方がおられると

感じて、感謝をと祈りを捧げるのです。すでに述べたように、それは限り

なく一神教に近い感覚です。




 このような一般的日本人の宗教感覚を、「偶像礼拝」として一刀両断の

下に切り捨てて良いものでしょうか。というより、日本人は偶像礼拝者な

のでしょうか。日本人は旧約聖書が糾弾するような意味での偶像礼拝者で

はないのです。彼らは汎神論者なのです。ただ、そのすべての物の内に内

在される神が、誰なのか、どなたなのかを、知らないままに生きているの

です。素晴らしいところは、その分からない方を分からないままで、偶像

化しないで礼拝し続けていることです。




 西欧を周って来たキリスト教は、日本人の汎神論的感覚を理解すること

ができませんでした。今も出来ていません。そのために、世界に一般的な

多神論と見分けをつけることが出来ず、八百万の神々を祀る偶像礼拝者と

して糾弾したのです。




 日本人の心の奥深くに潜んでいるのは、見えない存在者、知られない存

在者、幽玄のお方に対する畏敬と感謝の念です。日本人は仏教の伝来まで、

ほとんど手で刻む偶像を知りませんでした。仏教がやってきて、金色にき

らめく仏像(現在見る、わびさびの仏像は、金箔がはげたもの)が人々の

心を捉えたこともありましたが、今でも、日本人の心の底にあるのは、仏

教の偶像を礼拝する心ではなく、目に見えない存在者に対する畏敬です。

あるいは仏像自体を、見えない存在者の姿を表現したものと捉えて、その

背後におられると思われる方に、礼拝を捧げているのです。多くの日本人

は、仏教的習慣さえも汎神論的に捉えているのです。




 なにしろ、仏教の基本的な教えを理解している人など、日本人の中には

ほとんどいないのです。汎神論的感覚の日本人は、宗教、すなわち神仏に

関わることは奥深く、理解できないところがよいと考えているからです。

それは、知的にキリスト教を理解しようと努力を重ねてきた、西欧の人々

とは大いに違うところです。日本人ははじめから、神を気高く奥深くゆか

しい方と感じて、知的理解を放棄して深めようとはしなかったのです。む

しろ、ただ感じるままに崇めることこそ優れていると考えてきたのです。




 事実、神道は少しでも知的になろうとすると、愚かな多神論に陥ったり、

復古神道のように、キリスト教のまがい物になったりしてしまうのです。

神道は初めから神を絶対の超越者であるかのように扱ってきました。少な

くても人智を遥かに超えた方、深く高く大きな方として、知的理解の試み

を愚かなものとしてきたのです。




 このような感覚の日本人に対して、私たちはいかにして、聖書を通して

自己啓示をしておられる神を、紹介することが出来るでしょうか。以下、

いくつかの提案をしたいと思います。




1. 日本人を偶像礼拝者と決め付け、敵対意識で語ることはやめま

     しょう。


 日本人は、神の無限の栄光、見えない姿と力を認め、人知では到底はか

り知ることができない神を、崇めているのです。ローマ人への手紙1章に

記されているように、神の栄光を人や鳥や獣や這うものの像に似せて礼拝

する罪は、犯していないのです。知られざる神を知らないまま礼拝してい

るのです。知らないままですから、無知からくる間違いはたくさんありま

す。でもそれは、聖書を持って、知っていながらたくさんの間違いを犯し

ている、欧米周りの私たちのキリスト教に比べて、決して劣るものではあ

りません。




 敵対感情で語ることを、素直な気持ちで、あるいは開いた心で聞くこと

ができる人はまれです。日本人の宗教を偶像礼拝の悪と決め付けて、敵対

感情で語るのはやめましょう。むしろ、日本人の意識の深くにある宗教心

に、聖書の教えと共通するところがある事を積極的に認め、それらを高く

評価する努力をしましょう。



2. 日本人が知らないで崇めている神が、本当の神である可能性を
     認めましょう。

 一般的な日本人が、神でもないものを神として拝んでいるのは、事実の

一面です。しかし彼らの心の奥底には、知られない神に対する深い畏れが

あるのです。間違ったところを攻撃するのではなく、正しいところを積極

的に認め高く評価し、受け入れてあげるのです。




 パウロは、アテネの人々が知らずに拝んでいるのは間違った神だとは言

わず、知らないで拝んでいる神について教えようと語ったのです。その神

が本当の神である可能性を示唆しているのです。だとするならば、偶像で

満員御礼が出ていたアテネの町の人々の「知られざる神」よりは、日本人

の拝み続けてきた汎神論的な「知られざる神」のほうが、まさに正しい神

である可能性が大きいのです。


3. 日本人が崇め、畏れ、敬い、感謝を捧げている神は、真の神で

ある事を認めてあげましょう。


 もちろん、日本人の神観念には間違いがたくさんあります。ひどく捻じ

曲がった理解もあります。でも、長いこと聖書を所持してきた西欧人クリ

スチャンの中にも、頭を三つくらいぶん殴ってやりたいくらいの、とんで

もない神概念を持っている人がたくさんいることを思えば、聖書を持たな

いで、そのような神意識を持っている日本人を高く評価したくなります。




 まず、日本人の心の奥深くにある汎神論的神意識を認め、それを評価し、

そうする過程の中で、多神論的な愚かさを濾過して行けばよいでしょう。

日本人の中にある汎神論的神意識を、聖書の教えによってさらに純化し、

濁りを取り除き、輝くものにすることが出来ます。ともすれば多神論に陥

りそうな脆弱さ、危うさを指摘し、多神論的な感覚を消し去り、汎神論に

留まる良さを強調してあげましょう。



 4. 日本人が心の奥で感じている神は、同時に世界の神であり、天
地の造り主である事を教えてあげましょう。


昔から日本に住み、日本を守り、日本を祝福してこられた神、日本人が

見えない方、尊い方、恵深く慈愛に溢れた方として奉ってきた神は、天地

をお造りになって、人々を慈しんでこられた神である事を教えて上げまし

ょう。その神は普通キリスト教の神として知られている神である事を、知

らせてあげましょう。




 キリスト教の神は、フランシスコ・ザビエルの船に乗って、日本にやっ

てきたのではありません。アメリカ人宣教師のスーツ・ケースに入れられ

て連れられてきたのでもないのです。神代の始まる前から日本にいて、日

本を慈しんでおられる神であり、日本人が畏れ敬ってきた神である事を語

りましょう。



5. 聖書を持っていた西欧人は、天地をお造りになった神についてより

良く理解しているけれど、多くの間違いも犯してきたことを積極的

に認めましょう。


 聖書を持たず、本能と直感だけで、優れた神意識を持ち続けている日本

人の素晴らしさを、高く評価してあげましょう。キリスト教国と言われて

いる多くの国々が、倫理的には日本ほど高くはない事実も認めてあげまし

ょう。聖書を持たない日本人が、世界の人々が驚くほど崇高な倫理観と友

愛意識を持って生きていることを、大いに認めましょう。世界史の中では、

キリスト教の名で多くの犯罪が重ねられてきた事実も認めましょう。




 世界的な視野をもって歴史を見ると、日本があまり戦争犯罪に手を染め

ていないことも評価しましょう。確かに日本は、朝鮮や台湾を併合し、南

の国々を占領しました。満州を建国し、中国を攻め、多くの人々を殺しま

した。しかしそれは、キリスト教国が進めた植民地主義に対抗し、またそ

れに倣ってしまった一面もあるのです。多くのキリスト教国が犯し続けた

植民地政策の罪のほうが、何倍も大きな犯罪でした。




 西欧のキリスト教徒の間では神を恐れる気持ちは強いものの、神を畏れ

る心は少ないのです。日本人は逆です。日本人は神を恐れるのではなく、

神を畏れるのです。もちろん、日本人の間でも「荒ぶる神」を恐れる事は

あります。怒りの神を静める行事もたくさんあります。しかしそれは、神

を畏れる一部分として恐れているのであって、畏れが先にあるのです。




 恐れは自分たちが犯した悪に関わります。誰かに見られている。刑罰を

受けるかもしれないという感覚です。ですから大地震や大嵐や疫病などの

天災を、ただ「天罰」として捉えるだけで終わってしまいます。ところが

畏れは、大きく気高い存在者の前に、自分は小さなものに過ぎない、自分

はただその大きな者の慈悲によって、生きることを許されているだけだと

いう感覚によって生じます。その見えない方に対する畏れは、自分たちが

浴してきた恵みに関わります。豊かな刈り入れや穏やかな地域社会、そし

て和気あいあいとした家族を思い、自分が生み出され生かされていること、

食べさせてもらっていることに対する、感謝として表される感覚です。




 これは日本人の良心と深く繋がっています。神が恐ろしいから悪いこと

をしないのではなく、神を畏れるから正しくありたいと願うのです。パウ

ロがローマ人の手紙第2章で語っている、律法のない民族は良心によって

裁かれるという部分が、これに関係するようです。聖書の神も、基本的に

恐れるものではなく、畏れるものです。



 例外の事例も例外の時期もあったとしても、日本は民族として偶像礼拝

を退けてきました。そこには神を恐れるのではなく、神を畏れる気持ちが

強かったからです。神を畏れると、偶像礼拝には至らないのです。多神論

の偶像文化では、神を畏れる気持ちは芽生えません。汎神論の文化には神

を畏れる心が育つのです。




 日本人の多神論的感覚を、キリスト教的一神論の感覚で責めるのは間違

っています。聖書の神は、欧米で発達させられたキリスト教が持つ一神論

的神理解、唯一神論的神感覚を遥かに超えたお方であることを知るべきで

す。三位一体論は偉大で高度な神理解ですが、聖書の神はもっと幽玄で神

秘なお方です。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべての

ものの内におられ、すべてのものを内に秘めておられる、唯一の神、三位

一体の神なのです。 


    おわり







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2011年03月30日

日本人のためのキリスト教神学 (11)

日本人の汎神論とキリスト教 (1)


 日本にはたくさんの宗教があります。裏山の筍よりも多い宗教が、自分た

ち独自の信条と信仰形態を持って競合しています。ところがこの千差万別の

日本人の宗教心の奥底に、共通の宗教感覚ともいえるものが、しっかりと、

ほとんど揺らぐこともなく横たわっている事実に気付くと、驚かずにはおれ

ません。その共通の宗教感覚とは汎神論と言われるものです。




 汎神論は、現代日本人の大好きな進化論的な見方からすると、最も幼稚で

未発達な宗教形態と言われ、とりたてていうべきほどの定まった教えや理解

があるわけではありません。むしろ、極めて単純にすべての自然物に神の性

質を認める、あるいは神が宿っていると認めるだけのものです。それは、人

間の宗教意識の最も奥深くにある、理論化も体系化もされない素朴な、と言

うよりむしろ粗野な感覚にすぎません。




 ところが日本の場合、この粗野な感覚が粗野な感覚のままで、日本人に共

通の宗教意識として認められ、神道という極めて特殊な宗教を作り上げ、長

い歴史を経ているのです。本来、神道には教義も体系もありません。つまり、

これという基本的な教えも、その教えに沿った人生観や、生き方についての

教えもありません。あるのは非常に漠然としてとらえどころがなく、曖昧模

糊とした、見えないもの、おおきなもの、気高いもの、奥深いもの、情け深

いもの、憐れみ深いもの、どこまでも優しいものに対する、感謝の心、崇拝

の心、恐れ多しと畏(かしこ)まる心です。その「もの」はしばしば「お方」

に変わります。それは単なる力や原理や真理や道理といったものではなく、

心を持った「お方」となるのです。




 本来、汎神論とは、すべての自然物に神の性質を認めるものだと言われま

す。それが少し歪むと、すべての自然物を神と考える多神論に陥ります。日

本でも八百万の神々と言われるように、多神論的感覚がないではありません。

しかし、日本人のほとんどは、多神論を子どもじみた神話、信じるに足りな

い幼稚な感覚として退けています。多くの日本人が、自分は無心論者だと言

う場合、猫も鼠も神にしてしまうこの多神論的感覚に対して、言っているよ

うに思われます。ところがその同じ日本人が、すべての自然物に何らかの神

性を認めて、それを矛盾と感じないのです。それでいながら、それを多神論

に移行させる幼稚な堕落には納得しないのです。




 日本人の汎神論は一方では多神論的傾向を見せていながら、他方では強い

唯一神教的傾向を現しています。そして一般の日本人の心では、圧倒的に唯

一神教的感覚が強いのです。多神論的感覚の表れとしては、さまざまな神々

を祀っている神社があります。大きな神社にはそれぞれの神がうやうやしく

祀られ、それぞれの謂れがあります。ところが神社の側は、参詣する人々に、

それら個々の神々の名を呼び、崇め、奉ることを要求はしません。大衆は、

それが菅原道真だろうと、大国主命だろうと、まったく同じ気持ち、同じ態

度で参詣し、同じように祈るのです。祀られている神の名を呼ぶことさえま

れです。しばしば「ご神体」という言葉を聞きますが、それが偶像として実

際に祀られていることはまずありません。むしろ、神の性質が宿っていると

言われている大木や石などが、シンボルとして置かれているほうが多いこと

でしょう。




 参詣している人たちは、それぞれの神社が祀っている神々には興味がない

のです。彼らがごく素朴に感じているのは、表面に祀られているそれらの神

々は、本当の神ではあり得ないという直感的な感覚です。本当の神は、それ

らの表面的神々の背後におられる、もっと大きく、豊かで、強く、憐れみ深

く、気高く、慈しみに富み、奥深いお方だという本能の声を心の奥で聞いて

いるのです。日本人は直感で感じ取るこの神の名を知りません。本能の声で

知る神を、なんとお呼びしたらよいのかわからないままです。しかし、日本

人はどこの神社に御参りし、どこの社に詣で、どこの祠に頭を下げようとも、

まったく同じ、直感の教える神、本能の声が教える神に感謝の気持ちをあら

わし、恐る恐る、我儘な願いも捧げているのです。このように、日本人は非

常に強い唯一神教的傾向を持っています。




 ところがまた日本人は、すべての自然物に神の性質を認めています。それ

に対して、西欧を回って入ってきたキリスト教は、この自然物の中に神の性

質を認めることを嫌い、自然物の中に神が宿っていると言う教えを誤りとし

て退けます。キリスト教にとって、自然物はあくまでも神に創造された物で

あり、神ではありえないし、神を宿すものでもあり得ないのです。神を宿す

ことが出来るのは、神に似せて造られ、神の再創造を受けた、すなわち霊に

よって新たに生まれた人間だけだと言うのです。神はあくまでも、自然物の

外にいらっしゃる自然物の創造者なのです。キリスト教が自然物の中に神の

性質を見るという場合、それは、文学の中に著者の姿を見るとか、絵画の中

に画家の性質を見ることができるというような意味あいでしかないのです。




 そこで、西欧周りのキリスト教は日本人的宗教感覚に出会うと、たちまち

偶像礼拝と非難し、創造者と創造物とを混合する誤りであると糾弾してしま

います。本当かどうかは知りませんが、今、教会の中でも当たり前のように

飾られているクリスマスツリーは、もともと、大木には神が宿ると言ってそ

れを礼拝していた人々に、大木は神によって造られたものであり、それを見

てお造りになった神を崇めるべきもので、礼拝の対象とするべきではないと

教えるために、教会に置かれて飾られたことに始まるそうです。大木は神で

はなく、また、神を宿しているものでもなく、神に造られたもので、神の栄

光を現しているということです。天を仰いで月星太陽を礼拝するのではなく、

月星太陽に中に神の偉大さ、神のみ手の業を思うわけです。




 それは確かに聖書の教えの一面であり、説得力があるように思えます。し

かし果たしてそれだけが、聖書の教えている正しい教えでしょうか。むしろ

それは、聖書が教える一面の真理に過ぎないのではないかという、疑問が生

じます。多神教的傾向の強かったユダヤ民族や、同じく多神論の影響が強か

った旧新約聖書の時代の民族を教えるために、神は多神教の神に対立する、

創造者としてご自分を啓示してくださいました。ご自分は、当時の人々が拝

んでいた鰐の神でも、河馬の神でも、月の神でも、太陽の神でもなく、それ

らを創造した神であるという事実を示すことが、創世記に記された天地創造

の物語の目的だと思われます。




 ところが、私たちの日本は、多神論的感覚もないではないにしても、むし

ろ揺るがない汎神論を精神の土台として持ち、ほとんどすべての宗教を汎神

論的感覚で被っているのです。汎神論と多神論はまさに紙一重の理解の違い

でありながら、まったく違うものなのです。私たちの神は、偶像礼拝を特徴

とする多神論に対しては、天地万物を創造して唯一絶対の神として、ご自分

を啓示してくださいましたが、日本のような汎神論の精神土壌では、石や木

を手で刻み、金や銀や青銅を火で溶かして作った偶像に、目くじらを立てて

敵対する必要はないと思われます。たとえその様なものがそこここに祀られ

ていたとしても、日本人の心はそこにはないからです。むしろ、汎神論的感

覚に対して、神はご自分をいかに啓示してくださるだろうかということが、

大切になります。もちろんこれは、想像する以外にはないのですが、単なる

空想の想像ではなく、聖書の教えから類推される、あるいは推測される、推

定としての想像です。




 神が、多神論的偶像礼拝の文化に生きていた人々にご自分を啓示してくだ

さったできごとから、私たちはいま、汎神論的文化の中にいる人々に、神を

紹介する方法を模索しようとしているのです。聖書はある特定の時間と場所、

特定の読み手を直接の対象として書かれています。現在の私たちはその直接

の対象者ではなく、あくまでも、間接的な対象者なのです。そこで必要なの

は、聖書に記されている教えや出来事から、原則、基本、あるいは普遍的と

思われる教えを見つけ出して、自分たちに適用することです。ですから、多

神論的世界観を持つ人々に与えられた聖書を、汎神論的世界観を持つ人々に

適用しなければならないのです。




 たとえば、有名なローマ人への手紙第一章の罪の列挙ですが、あれは見え

ない栄光の神の見えない性質は、たとえ堕落した人間と言えども、常識で考

えるだけで良く分かることなのに、人間たちは愚かにも、その栄光の姿を鳥

や獣や這うものの像に似せてしまったことから、神によって、欲望のなすま

まに任せられてしまったことから起こったことです。確かにあの列挙された

罪の数々は、日本人にもある程度当てはまるでしょう。しかし、日本人はど

うも少し違うなと思わせられるところもあるのです。




 不思議なことに、日本人ほどクリスチャン人口が少ない国はないほどなの

に、その倫理観は、クリスチャン諸国に勝るとも劣りません。同じクリスチ

ャン国でも、スカンジナビアの国々の人々はかなり高い倫理を保持している

ようですが、西欧諸国の人々の多くは、日本の倫理ほど高い倫理を持ってい

るようには思えません。ましてや、カトリック国の倫理観の低さは、多くの

場合、話にもなりません。




 なぜその様なことがあり得るのでしょう。日本人の倫理観の低さは、聖書

がなかったからと言えるかもしれませんが、聖書を持っていた多くの国の人

々のほうがもっと低いのです。パウロによると、神が人間を欲望のままに任

せられたために、さらに激しく堕落し罪深い生き方に陥ってしまったのは、

人間たちが偶像礼拝をしたからです。単に、アダムとエバの罪の結果だけで

はないのです。その後さらに、不屈の神の栄光を変えて、朽ちるべき人間や

獣の姿に変えてしまったからです。ところが、日本人は、基本的に、偶像礼

拝者ではないのです。神の刑罰を、他の偶像礼拝に満ちている国々の人々の

ようには、受けていないと言えるのではないかと思います。


 

 このように旧約聖書も新約聖書も、多神教の偶像礼拝文化を背景に書かれ

たものであり、日本のような、汎神論的感覚が支配的な人々を対象にして書

かれたものではありません。とは言え、聖書の中には汎神論的感覚がまった

くないのではありません。汎神論的感覚を持った人に対して語られている部

分が一つもないではなく、汎神論的感覚で語られている部分を見つけ出すこ

とが出来ないのでもありません。僅かなりともあるのです。




 パウロの言葉を引用してみましょう。「すべてのものの上にあり、すべて

のものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は

一つです」(エペソ4:6)パウロは汎神論者としてこの言葉を語ったのでは

なく、唯一の創造者を礼拝するクリスチャンとして語りました。でも、それ

は驚くほど、汎神論に近く、また汎神論を超えたものです。パウロが語った

神は、自然物と同等に、同じレベルで語られるべきお方ではありません。す

べての物の創造者として、すべての物の上に存在される方です。




 ところが、そのすべての物の上におられる方が、すべてのものを貫いてお

られるのです。神は霊です。すべての創造物、それが物質であろうが、非物

質であろうが、それらに妨げられることなく存在しておられ、また、すべて

の創造物の内に存在しておられるのです。私たちの神はすべてのものの創造

者ではありますが、すべてのものの外側に、すべてのものを対象物として存

在しておられるのではなく、すべてのものの内に存在しておられる方なので

す。




 霊的存在者である神は、物質には妨げられません。物質でも、ほとんどの

ものを貫いてしまう、たとえばニュートリノのようなものが知られています。

固く重く、非常に高い密度を持った物質でも、霊であられる神には、まさに

スカスカのスポンジよりもまだスカスカなのです。神は、ご自分がその中に

存在できないようなものをお造りになりませんでした。神のいないところは

ないのです。昔の人は私たちと同じような言い方はしませんでしたが、地に

深い穴を掘って逃げ込んでも、神はそこに存在しておられると言っています。




 パウロはまた、「私たちは神の中に生き、動き、また存在している」と語

りました。(使徒17:28)すべてのものの内に存在される方でありながら、

すべてのものをご自分のうちに保っておられるのが神です。神は無限の方で

す。物質的にも空間的にも時間的にも、さらにはあらゆる次元と言う意味で

も無限です。無限の神が時間と言う限界の中に入り、物質と言う限界のある

ものをお造りになり、空間と言う有限の中にそれらを置いて下さいました。




 その場合、神は、ご自分の外側にそれらの有限をお造りになったのではあ

りません。無限の外側と言うのはあり得ないからです。つまり、人間が犬小

屋を造るときのように、自分の外側に、自分の対象物としてお造りになった

のではなく、あくまでも無限の存在であるご自分の内側にお造りになったの

です。つまり、私たちはまさに神の内に造られ、神の中に生き、神の中に動

き、神の内に活動しているのです。


 

 これは、物質的に、空間的に、時間的に限りあるものとして造られ、その

中で生きていかざるを得ない、私たちの理解を遥かに超えた事柄です。しか

し、パウロの言葉からはっきり分かることは、神はあらゆる存在物の中にお

られ、あらゆる存在物は神の中に存在することを許されているのです。これ

は、まさに汎神論的な考え方と共通するものです。



 ところが一方、明白なのは、創造物はあくまでも創造物であり、創造者と

一つになることはなく、創造者と溶解して境界線が分からなくなるのでもあ

りません。あくまでも創造者は創造者であり、創造物は創造物なのです。こ

の点は、汎神論とは違います。汎神論には、創造者と言う発想がないようで

す。もともと「存在している」ということを認めるところから、思考が始ま

っているようです。日本列島の発祥についての神話でも、はじめから、どろ

どろとしたものが存在し、剣も存在したのです。


                            つづく









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2011年03月04日

日本人のためのキリスト教神学 (10)


異教徒のための神学



 キリスト教の神学は、当然、キリスト教徒の聖典である新約聖書の解釈か

ら構築された、キリスト教徒のための神学です。それはまた、イスラエル民

族に啓示された神の教え、つまり旧約聖書を基盤とした神学です。聖書全巻

を通して、異教徒のために書かれた部分、すなわちユダヤ教とキリスト教以

外の宗教を、奉じている人々のために書かれたところはありません。





 あえて探すと、創世記に少しばかり異色なところがあります。イスラエル

民族がまだ神との特殊な契約関係に入っていない時代のことが、正確な意味

での神の民、イスラエル民族がまだ生まれていなかった頃のことが書かれて

いるからです。イスラエル人は、先祖アブラハムの召しに端を発しますが、

エジプトでの奴隷状態から救い出されたことによって、救い出してくださっ

た神との特殊な契約関係に入ったものです。その神との特殊な契約関係に入

ったことによって、イスラエル民族は神の民となりました。




 アブラハムが召し出されたとき、アブラハムは天地創造の神を正しく理解

して信じていたのではありません。周囲の人々と同じように、異教的神観と

異教的世界観、そして異教的死生観、異教的価値観を持っていたはずです。

それにもかかわらず、神はアブラハムの中にある良い資質をご覧になって、

アブラハムにご自分を現し、正しい信仰へと導いてくださったのです。


 

 ところがアブラハムは、すぐさま天地創造の神について正しい理解を持ち、

正しい信仰生活を送ることができるようになったのではありません。アブラ

ハムは確かに信仰の父と呼ばれるに相応しい人物でした。しかしそれは、完

全な理解や完全な信仰を意味したのではありません。神がご自分につき、ま

た正しい信仰について教育をするためには、アブラハム一人、アブラハム一

代だけでは充分でなく、その子イサクと孫やコブ、さらにはひ孫のヨセフに

まで亘る長い間の教育が必要でした。




 ヨセフの物語は素晴らしいものですが、天地創造の神を信じる信仰の持ち

主としては、はなはだ足りないところが目立ちます。唯一絶対の神に対する

信仰が明らかではないのです。まだまだ、天地創造の神に対する信仰には到

達しないで、せいぜい、少しばかり大きな神、他の神々よりはちょっとばか

り力が強い神、アブラハムの血筋を守り、ヨセフに対して特別な配慮をして

くださる神に過ぎなかったようです。




 このように、アブラハムからヨセフに至るおよそ200年間の神の教育は、

実にゆったりしたものです。さらにエジプトで奴隷であった400年間ほどが

加わっても、イスラエル民族の神信仰は実に曖昧なものだったようです。そ

れは、血族としてのアイデンティティを持つための神、民族の神、アブラハ

ム、イサク、ヤコブの神であったとしても、それがエジプトの神々、メソポ

タミヤの神々とどれほど異なった神であるかについては、不透明なのです。




 もちろん、神は人類の発祥の時点から「知られない神」であったのではあ

りません。アダムとエバは神を良く知っていました。ただし彼らの神知識は、

知的理解としての知識ではなく、体験を通して知る知識でした。神は人類の

祖先であるこのアダムとエバと、約束を交わしておられます。契約と言う言

葉こそ使われていませんが、これは契約と言って間違いではありません。と

ころが、彼らが罪を犯して神のみ前から追放されてしまったことにより、彼

らの神知識はたちまちおぼろげになり、神のいないところで造られた人間社

会では、神の知識はますますかすんでしまいました。




 神はまたノアにもご自分を現し、彼とも契約を交わしておられます。ノア

の神知識がどの程度のものであり、ノアはその知識をどこから得たのかは知

りようがありませんが、神からの歩み寄りがあったことは容易に想定するこ

とができます。ノアとの契約は人類すべて、あるいは地の上に生きる肉なる

ものすべてに関わるもので、非常に興味深いものですが、いまの私たちの学

びにとってあまり重要ではありません。重要なのは、次のアブラハムに始ま

る契約です。




 神はアブラハムにご自分を啓示され、アブラハムとその子孫を祝福し、彼

らを通して地上のすべての民族を祝福すると、約束してくださいました。

(創世記12:1〜3) さらに神は、アブラハムとその子孫にカナンの地

を与えると約束してくださいました。(12:7)また、アブラハムの子孫

が星の数ほど多くなるとも、約束してくださいました。(15:5)この時

点では、まだ、これは契約とは呼ばれていませんでしたが、明らかに契約で

す。アブラハムの子孫にカナンの地を与えるということが、契約として語ら

れたのは、創世記15章18節が最初です。ただし、その時に至ってもまだ、

神はアブラハムとその子孫がご自分だけを礼拝するという条件を、お語りに

なってはいません。あるいは他の神々や偶像礼拝についても、何もお示しに

なってはいません。アブラハムが他の神を礼拝してはならないと、明白には

語られていないのです。だだ、それが暗黙の理解となっていたことは考えら

れます。




 そういうわけで、アブラハムとその直系の子、孫、ひ孫たちは、アブラハ

ムにご自分を啓示してくださった神に対して忠実であったとしても、直系を

外れた子、孫、ひ孫たちの多くは周囲の神々を祀って、これに仕えて行きま

した。それに対しても、神は何もおっしゃっていないのです。神の関心は、

アブラハムの直系の子孫を通して地のすべての民族を祝福することであり、

この時点では、直系の子孫だけが大切にされていたと考えられます。




 ところがその直系の孫やコブが、自分の一族の天幕から偶像を取り除いた

のは、アブラハムに神が現れてくださってから、およそ150年も後の事で

す。ヤコブ自身は、それまですでに幾度も神の自己顕現を体験していたので

すから、これはむしろ驚くべきことです。ヨセフは、最もうるわしい信仰を

持っていたようですが、エジプトの宗教の祭司の娘を妻に選びました。モー

セも、ミデアン人の宗教の祭司の娘を妻としました。出エジプトを果たして、

神との特異な関係に入った後のイスラエルの指導者には、考えることができ

ないものです。




 このように、神との「婚姻」にたとえられる、特殊な契約関係に入る前の

イスラエルは、他の宗教に対してかなり寛容だった。と言うより、神は、イ

スラエル人のご自分に対する曖昧な信仰と、他宗教に対する締りのない態度

に、ずいぶん寛容であったと知らなければなりません。




 イスラエル民族の他宗教に対する寛容な態度が、厳しく戒めるようになっ

たのは、出エジプトという出来事に関わってです。神は改めてご自分をモー

セに現し、ご自分が「ある」という存在である事をお示しになりましたが、

これは、あまりにも理解が難しい自己表現で、モーセにしてもその場では良

く意味が分からなかったはずです。ただ分かったのは、燃える芝の中に現れ

てくださった方が、先祖アブラハム、イサク、ヤコブの神であると言うこと

であり、この神が、イスラエル民族を救い出してくださると言うことと、モ

ーセがその働きのために信任を受けたと言う事実です。




 この時点にいたってもまだ、イスラエルには、唯一絶対の神と言う概念は

与えられていません。この頃のイスラエル民族にとって、神は天地をお造り

になった神ではなく、単に、たくさんいる神々の中で最も力強い神、アブラ

ハム、イサク、ヤコブと契約を結んでくださった「彼らの神」に過ぎなかっ

たのです。まだ、この神以外を神としてはならないという、厳しい信仰態度

も定まってはいなかったと考えられます。ヤコブの妻ラケルは、すでにヤコ

ブの神を信じてはいたと思われますが、一方では、自分が子どもの頃から馴

染んできたであろう、父の偶像テラフィムを隠し持って来た感覚と、あまり

変わらなかったのでしょう。




 神とイスラエルの関係をさらに特別とし、この神以外に何ものをも礼拝し

てはならないという感覚を持たせたのは、出エジプトの後に与えられた十戒

とそれに付随した戒律、モーセを通して与えられた契約によるものでした。

神は、イスラエルをエジプトの国、奴隷の家から救い出してくださいました。

神はその救いを前提条件として、イスラエルにおっしゃったのです。「だか

ら、あなたには、私のほかに、他の神々があってはならない。偶像を造って

はならない。それらを拝んではならない」不思議なのは、多くの牧師や聖書

学者が十戒について語っていながら、十戒の大前提となる語句、出エジプト

記20章と2節を無視していることです。十戒は、この節を除いては正しく

理解することはできないのです。十戒そのものが成り立つのはこの節があっ

てこそだからです。




 ここにおいて初めて、神はご自分だけを礼拝するように、ご自分だけに仕

えるようにとお命じになったのです。「私があなたを救った神だから」とい

う理由です。しかし神はまだ、ご自分だけが神であり、他に神はいないとい

う事実を教えることができませんでした。そのためには、さらに進んだ教育

が必要だったのです。それはまず、神という言葉に関わりました。当時の神

と言う言葉は、当然、周囲の民族、周辺の人々が使っていた神という言葉で

す。そこにある概念は、もちろん天地の創造主というような、崇高な、超絶

した神の概念ではなく、もっともっと低い、偶像の神々、鳥や獣や這うもの

や天体の神々でした。神はそのような「汚れのある」「手垢のついた」神と

いう言葉を使用して、ご自分をお示しになる以外に方法が無かったのです。




 モーセに対して「私はあるものである」とおっしゃり、崇高な神であるこ

とをお示しになったとしても、モーセ自身が理解していなかったのですから、

一般のイスラエル人が理解するはずもありませんでした。このような民を教

育するために、神はご自分が誰であるかを注意深くお教えになる必要があっ

たのです。それこそが、創世記の天地創造の物語とそれに続く物語が、書か

れなければならなかった理由です。天地創造の物語は、天地が造られた経緯

や手順を述べたものではありません。ましてや現代科学を満足させるために

書かれたものではありません。神はこの物語をもって、「私はこのような神

である。すべての神々と異なる神である。すべてのものを無から創造した神、

すべてのものを支配している神、時間と空間を超越した神である。同じ神と

呼ばれる存在であっても、まったく次元の違う神である」と、宣言なさった

のです。




 このように神は、ご自分が創造者である事をお示しになりましたが、まだ、

他の神々と言われる存在、あるいは不思議や力ある業を行う存在を否定して

おられないのです。神が要求なさったことは、頭で唯一の神と理解すること

ではなく、心で、わたしが礼拝する唯一の神は、私を救ってくださったこの

神であると決めることだったのです。それはあたかも、「多くの男性の中か

ら選んだ唯一の男性が夫である」というのと同じ理屈でした。「他にも男性

はたくさんいるけれど、私は、自分を苦境から救い出してくださった力強く

憐れみ深いこの男性を夫と定め、生涯この男性だけに寄り添って行きます」

と言う態度を、神はお求めになったのです。




 イスラエルの人々が、天地創造の神だけを礼拝するように求められたのは、

天地創造という想像を絶するみ業を理解したからではなく、神の救いの力を

体験したからです。神についてはまだまだ何も分からなかったのです。聖書

が教える信仰は、知的理解による信仰よりも先に、神の力の体験による信仰

です。体験のあとに、正しい知的理解が続くのです。天地創造の神が紹介さ

れた創世記が、厳密にいつの時点で書き記されたのかは知りませんが、十戒

が与えられた後、レビ記が書き記された頃と考えるのが妥当でしょう。





 神はまず、イスラエルに対して長い準備期間、基礎教育の時間を置かれま

した。それから圧倒的な救いの力をもって、イスラエルに救いの体験をお与

えになりました。その上で、私だけを礼拝するようにとお命じになったので

す。1年や2年の教育期間ではありませんでした。何となくと言うような曖

昧な体験ではなく、まさに圧倒的な救いの体験でした。そしてそのあと、天

地創造の物語を通しての、非常に明快な神の自己紹介があったのです。




 そのような経過をたどって、出エジプトからおよそ40年後、イスラエル

が約束の地に入る直前、今度はモアブの地での契約がありました。これは、

出エジプト記20章に始まるホレブ(シナイ)での契約とは、異なった契約

です。内容的には、ただ神のみを礼拝し、神にのみ仕えるならば、神はイス

ラエルを祝福するという、シナイでの契約を確認する契約ですが、さらにこ

と細く定められた、確認の契約です。




 こうしてイスラエルは神の民として、ただ神のみを礼拝する民族となるよ

うにされたのです。ところが実際は、誰もが知っているように、イスラエル

は幾度も幾度も偶像礼拝に走り、神を裏切ってしまいます。その結果、神の

厳しい取り扱いを受けなければなりませんでした。神がイスラエル民族に厳

しく辛く当たられたのは、このイスラエルの裏切り、背教、宗教的姦淫の罪

のためでした。イスラエルが神との契約を破ったのです。イスラエルが、ほ

かの神々に心を寄せる偶像礼拝から、完全に開放されたのは、バビロンの捕

囚を通してだと言われています。7〜800年にわたる偶像礼拝による腐敗

と廃頽の後、イスラエルはついに、神が起こしたバビロン帝国の鉄槌を受け

て、偶像礼拝を完全に放棄するようになったのです。その後、イスラエルは

徹底した一神教民族として存続するようになりました。




 バビロンでの「清め」、偶像礼拝からの完全な離別を体験して、およそ

500年。時は新約の時代に流れますが、その頃になるとユダヤ人(イスラ

エル人)は、旧約の時代の神の律法、特に偶像礼拝の禁止を徹底的に守る民

族として、広く知られるようになっていました。キリスト教はこのユダヤ教

を温床として芽生えたのです。当然、そこには強烈な反偶像礼拝の機運があ

りました。パリサイ的な信仰を共有して成長したキリスト教は、モーセの律

法を一字一句神の言葉として理解して受け入れ、偶像礼拝を最も憎むべき罪

として排斥していました。それは当然、強烈な選民意識、特権意識とつなが

り、キリストの福音をユダヤ人だけに限定する力となっていたのです。




 このような初代のキリスト教が、普遍的福音の真理を理解し、異邦人伝道、

すなわち偶像礼拝をしていた人々に福音を伝えるためには、神の特別な取り

扱いが必要でした。そこに必要だったのは、パレスチナで育って日常的にヘ

ブル語やアラム語を話す視野の狭いユダヤ人ではなく、異邦人の土地で育ち、

異邦人のものの考え方や感じ方だけではなく、異邦人が礼拝する偶像に対し

てもある程度の理解を持つ人間でした。ただ単なる嫌悪感で目を背け吐き気

をもようすナイーブさではなく、それらの空しさを理解し、その背後にある

悪霊などの力も良く知りながらも、冷静に見、適切に取り扱うことのできる

人間でした。それが、異邦人の世界で育った使徒パウロだったのです。




 これは使徒ペテロには無理な仕事だったと思われます。彼も非常に優秀で、

神の導きに従って適応性と柔軟性を持って行動できた人物であり、特に異邦

人伝道と言う面ではコルネリオの家の人々に対する伝道は突出しています。

しかしともすれば、福音をユダヤ人の中に閉じ込めておこうと考える、ユダ

ヤ主義者に妥協しがちだったペテロには、パレスチナを離れた異邦人伝道に

関する限り、まだまだは追いつけないところがあったと思われるのです。



 ところが神が異邦人宣教のために召し、普遍的福音の真理を明確にお示し

て理解をさせたパウロも、完全な意味での異邦人宣教と言う面から語ると、

まだまだ初心者に過ぎなかったのです。パウロの宣教地は異邦人の土地でし

た。しかし多くの場合は、離散したイスラエル人が宗教的集まりを持ってい

た、会堂を拠点とした伝道だったのです。対象の人間の多くはユダヤ人、も

しくはユダヤ人化した異邦人、あるいはユダヤ人化するまでには至っていな

いとしても、ユダヤ人の宗教と習慣に対して尊敬の念を持っていた人々です。




 パウロが完全な意味で異邦人宣教に突入したのは、使徒の働きに記されて

いる限り、ルステラでの出来事による証、ピリピでの投獄にともなう伝道、

あるいはアテネのアレオパゴスでの説教など、わずか数回のことです。した

がって、パウロの神学も完全な意味での異邦人に向けた神学ではありません。

つまり、異邦人に理解されるようにと言う意図をもって、構築した神学では

ないのです。イスラエル人の旧約聖書の理解を前提としまた基本とした、パ

リサイ派のキリスト教神学でした。異邦人を念頭において語ったパウロの神

学的言葉は、ルステラでの出来事と、アテネのアレオパゴスでの説教に限ら

れます。




 このように旧約聖書も新約聖書も、異邦人の宣教を目的とした神学を示し

ていないのです。そこには異邦人のための、あるいは異邦人宣教のための神

学の萌芽はあるものの、発展させられてはいないのです。そして、長年西欧

で培われ構築されてきたプロテスタント神学には、異邦人のために福音をわ

かりやすく提示しようとした神学、異邦人の立場と文化とを考慮した神学は

不在なのです。




 私たちはいま、西欧人のために構築された神学、ある意味で「キリスト教

化」した人々を対象とした神学しか知らないのです。そしてその神学を持っ

て、無理やりに完全な異邦人である日本人に宣教しようとしているのです。

日本人が理解することができないのは当たり前です。日本人が反感を覚え、

敵意さえ感じるのは当然です。そしてそのような神学での宣教が、成功しな

いのはまさに自然の成り行きです。




 私たちはいま、西欧で構築された神学を横において、旧約聖書では、創世

記と出エジプト記の十戒の付与にいたる前の部分から、天地創造の神を知ら

ない人々のための神学を発展させ、新約聖書ではパウロの宣教に芽生えがあ

る神学、異邦人のための神学を育てる必要があるのです。


                            つづく










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2011年01月15日

日本人のためのキリスト教神学 (9)



キリスト論から神論へ


 西欧プロテスタント神学の特徴は、キリストとその贖いの働き、信仰による

救いを中心にしていることです。ルターがカトリックの誤りに対して抗議の声

を上げたのが、その点であり、それこそ当時の西欧社会の宗教事情の中で、も

っとも必要とされていたことだからです。




 当時の西欧の人々は、天地創造の神を信じていました。教会は、社会の中で

も人々の心の中でも、重要な地位を占めていました。キリストはすべての人々

に知られていて、不正確ではあっても人々は罪の自覚を持っており、死後の世

界の存在も信じていました。だからこそ罪の刑罰を恐れ、熱心に救いを求めて

いたのです。現在の日本に比べると、若年の死亡率が圧倒的に高く、いつも死

と隣り合わせに住んでいたと言っても過言ではなかった、当時の大衆にすれば、

神はどのようにして救いを準備してくださったのか、いかにすればその救いを

獲得することができるかが、切実で緊急な問題となったのです。だからこそ、

それらをこと細かく説明する神学が構築されたわけです。




 ところが日本では、天地創造の神を信じている人などほとんどいません。キ

リストについていくらかでも知っている人など、よほど奇特です。罪の自覚を

持っている人はとても少なく、死後の世界の存在にも懐疑的で、救いを求めて

いる人などさらに希少です。そこに、西欧プロテスタントのキリストとその働

きに中心が置かれた、救済論的神学が持ち込まれ、その神学に沿った伝道牧会

がされたとしても、日本人には「どこ吹く風」の話です。




 さらに、日本人の多くはキリスト教と聞いただけで、外国の宗教だと言って

自分の関心の外に置いてしまいます。国際感覚を強く身につけた都会の人たち、

あるいは高学歴の人たちの間では、キリスト教を外国の宗教だと言うようなこ

とは少ないでしょう。でも彼らとて、ひとたび故郷に帰り、家族親族と親しく

付き合い、地域社会に入って円滑に生活しようとすると、キリスト教を「よそ

者の宗教」と判断しなければならなくなるのです。日本では、キリストという

言葉を用いて伝道するのは、それだけで困難だということです。




 もちろん、キリストとその働きを中心とした神学が、無用だと言っているの

ではありません。それはプロテスタント教会の尊い宝です。しかし、日本のよ

うな土地で伝道しようとするならば、その神学を振りかざしていては無理だと

いうことです。もっと日本人になじみ深い、共通意識から始めるべきです。そ

の共通意識とは神です。神はすべての人間の中にある、本能的な意識です。神

意識の無い民族は存在しません。神が人間をお造りになったときに、神に似せ

て造ってくださったのです。それは神を感じ、神を崇める欲求を持つというこ

とです。キリストには無関心な日本人も、神には関心があるのです。無宗教を

自認して止まない日本人も、本当はしっかりと神意識を持った人間なのです。

そして、それぞれの方法で神を感じ、それぞれの方法で、神を崇め、それぞれ

の方法で宗教的欲求を満たそうとしているのです。




 ところが西欧プロテスタントの神学を背景とした伝道は、まず、日本人の神

意識を非難するところから始まります。低級な神意識、間違いだらけの宗教感

覚、発展していない幼稚な神観、迷信だらけの神話、そして国粋主義に利用さ

れた国家神道というわけです。プロテスタントの伝道は、日本人の感覚には不

在の「キリスト」から始まり、せっかくの共通意識の「神」については、非難

と攻撃から始まるのです。それでは会話が成り立たず、心の交流も不可能であ

り、信頼も、理解も期待できません。だから、伝道はうまく行かないというこ

とです。




 私たちは、日本人の神観を見下したり非難したりする、一方的で独断的な西

欧キリスト教神学を、ひとたび横に降ろして、もう少し注意深く聖書を学びな

おし、「非キリスト教徒の神学」を構築すべきです。つまり、クリスチャンで

ない人々の神観について、学びなおすべきです。確かに聖書は、キリストとそ

の贖いの働きを中心とした書物であると言えるでしょう。でも、もっともっと

幅の広い書物でもあるのです。




 旧約聖書は、イスラエル民族に救い主の出現を予告する書物でした。新約聖

書はその救い主の到来を告げ、救いの実現と完成を語るものです。聖書そのも

のの大部分が、創造主である神の実在を当然の前提として書かれています。そ

の上で、救い主の出現が予告され、その予告がイエスというひとりの人物の出

現によって現実となり、出現したイエスの救いの働きが述べられ、さらに人が

救いを得るにはいかにすべきかが記されているのです。救済論的観方を持たな

いで聖書を読むことは間違っているのです。ですから、西欧プロテスタント神

学が救済論的であることに、誤りがあるわけではありません。




 ところが聖書の中には、そのような創造主である神の存在を、前提としない

人々の信仰についても書かれています。キリストはおろか、神の概念さえもは

なはだ曖昧で、ちょうど、いまの日本人のような人々です。旧約聖書では、モ

ーセによって出エジプトをする前のイスラエル人たちです。新約聖書では、パ

ウロが宣教したグレコローマンの人々です。




旧約聖書の律法は、神の大きな奇跡を次々と見せられ、信じられないような

救いも体験し、苦難の中から救い出された経験を持つ、イスラエル人に与えら

れたものです。紅海を渡る前のイスラエル人に与えられたのではありません。

紅海を渡る前のイスラエル人の神意識は、わずかな人々を除いては、とてもお

ぼろげで、はっきりしないものでした。




 偉大な指導者モーセでさえ、かなり不明瞭な神意識しか持っていなかったの

です。アブラハム、イサク、ヤコブの神を信じていたとはいえ、ではその神が

どのような神であるかとなると、かなり怪しいのです。彼は後になって明確な

神体験をして、啓示によって律法を書いていますが、その律法によっては絶対

に許されない、ミデアン人という異邦人の、しかも祭司の娘と結婚しています。

だから彼には、燃える柴の体験、神との対面という、恐ろしくも神々しい体験

が必要だったのです。その時まで、彼は明確な神理解を持っていなかったから

です。




 そのモーセが、後になって創世記を書いたとき、彼は大きな問題に遭遇しま

した。言い換えると、神はモーセを用いて創世記を書かせられたとき、大きな

問題に遭遇しました。神のことをよく知らない人々、非常に曖昧な神理解しか

持っていないイスラエルの人々、たとえ大きな奇跡を次々に見、紅海の奇跡を

体験し、神の救いを経験していたとしても、神の理解としてはまだまだ幼稚で

あったイスラエルの人々に、どのように神を紹介するかということです。




 そのために、つまり神の紹介、あるいは神の自己紹介のために、創世記の天

地創造の物語が用いられたのです。天地創造の物語は、天地創造の経緯や順

番や、科学的事実を間違いなく記そうとしたものではありません。科学の知

識も物理の知識もまったく不必要な時代の人々、そのようなことにはおおよそ

無関心な人々に、あなたたちの神は、周囲のあらゆる神々、すなわち太陽の神、

月の神、海の神、川の神、山の神、鰐の神、牛の神、鷲の神、猫の神、蛙の神

などとはまったく異なる、大きな神、力強い神、天地創造の神であるという事

実を教えるために書かれたのです。




 しかし、その天地創造の神を紹介する物語を書くにあたっても、大きな困難

がありました。「神」という言葉をどうするかです。誰も、天地創造の神を知

らないのです。神々という概念はありました。小さな神がたくさんありました。

でも人々は、天と地を創造された、全知全能の神という存在を知らず、それに

近い概念さえ持っていなかったらしいのです。ですから、そのような神を表現

する適当な言葉がありませんでした。そのため、当時の人々が用いていた神々

の名を借用しながら、新しい概念を伝えなければならなかったのです。





 それはキリスト教が日本に入ってきたときに、天地創造の神を呼ぶのには、

天帝にしようか、創造主にしようか、存在者にしようかなどと迷いながら、結

局「神」にしたのと同じような問題があったわけです。「かみ」という言葉が

選ばれたのは、良いことであった反面、多くの欠点も指摘されている通りです。



 創世記と出エジプト記の始めの部分を読むと、神は、イスラエル民族をご自

分の民とするために、そのような「伝道」の苦労をなさっていることが分かり

ます。そして、長い長い時間をかけておられるのにも気付きます。キリストの

話に至るまで、とても多くの教育と時間を費やしているのです。




 もちろん現在の日本人は、旧約聖書が記された当時のイスラエル人よりは、

理解力を持っています。しかし、敵対的態度をむき出しにして対話を拒む、西

欧プロテスタントのキリスト論的神学、あるいは救済論的神学を前面に出した

伝道では、日本人の心に届くように福音を語ることはできないのです。まず、

神をじょうずに紹介しなければなりません。

                            つづく







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2011年01月14日

日本人のためのキリスト教神学 (8)




日本人に必要な神学


 私たち牧師は、知らず知らずのうちにとても西欧的感覚の人間になって

います。そんなことを言うと、「俺は日本人だ!」「日本人である事を誇

りとしている!」という牧師も少なくないと思うのですが、それは、自分

がどれほど西欧的感覚に陥っているか、気付かずにいるだけのことだと思

うのです。




 明治以後の日本は、西欧に追いつき追い越せで、あらゆる物を西欧から

学んできました。産業、技術、学術、政治、芸術、医学など、おおよそ思

いつくものすべてが、西欧に学んだものです。子どもであった私たちは、

西欧から取り入れられた教育システムで育てられ、西欧的であることに違

和感を持たないまでになったのです。




 ところが一般社会では、明治以降の国是となった和魂洋才が、これまた

徹底していたのです。つまり、西欧の進んだ産業、技術、学術などはどん

どん取り入れるけれど、西欧の精神であるキリスト教は徹底的に排除し、

日本古来の精神、大和魂をもってこれに代えることにしたのです。西欧の

先進的な要素はすべて取り入れても、その精神となったキリスト教は、多

くの国を植民地として他民族を滅亡させていく恐ろしい宗教、あるいは野

蛮な精神文化としてこれを退けたのです。それでいながら、やはり西欧に

おけるキリスト教のように、民族の精神的柱になりうるものが日本にも必

要だと考え、平田篤胤などによって提唱された復古神道を採用し、これを

国家神道にまで高揚して大和魂としたのです。




 したがって、ふつうの日本人は産業技術や学問の分野では徹底的に西欧

化しながら、その精神文化においては、反西欧主義なのですが、牧師たち

は、その反西欧主義を乗り越えてクリスチャンになることができた、数少

ない「西欧志向」の日本人だったのです。そして牧師たちは、西欧文化の

中で長い間かけて構築されたキリスト教神学、あるいはキリスト教文化を、

一種の憧れを持って学び、吸収してきました。もともと、小学生のときか

ら西欧的な教育システムの中で学んできたのですから、西欧志向を持って

キリスト教を受け入れてしまうと、その西欧化の急流を妨げるものは少な

くなってしまいます。




 ですから牧師たちは、自分たちが学んだ神学が西欧で構築されたものだ

という事実に頓着することなく、あるいはほとんど違和感を持つこともな

く、そのまま習得し、それをもって日本人の伝道牧会に当たってきたので

す。これでは、日本人にキリスト教を理解させることは難しく、日本人が

クリスチャンになることも容易ではなくなるはずです。




 西欧のプロテスタント神学、あるいはいわゆる聖書に根ざしたといわれ

る神学は、カトリックの神学への反発として発展したという宿命を背負っ

ています。カトリックの間違いを聖書から正し、そこから聖書の理解をさ

らに深めて行ったわけです。ほとんどすべての人たちが、天地を創造した

神の存在を認め、神の権威、神の力、神の救いなどを前提とした精神環境

の中で、聖書を理解し、「自分たちに有益な」神学を建てて行ったのです。

私たち日本人とはまったく異なって、すでにある程度聖書的な宗教観、世

界観、神観をもった人たちの「ための神学」が作られたのです。神学とい

うものは、たとえ聖書神学と名のつく神学でも、純粋に学問的公平性を保

つものではありません。かならず、その神学を発展させた人の文化的背景、

あるいはその人の住む社会の必要性によって影響を受けるものです。




 たとえば、聖書の中には一夫一婦制が原則として謳われていますが、一

夫多妻の問題が大きく表面化しなければ、その原則は取り上げられず、理

解もされませんでした。男女平等にしても奴隷制度にしても同じです。あ

るいは、私たちペンテコステ教会ではいま当たり前ことになっている、聖

霊に対する強い関心も理解も、宗教改革以来数百年間ほとんど皆無だった

のです。ちなみに、歴史上もっとも優れた信仰告白と言われる、使徒信条

を唱えて見てください。そこには聖霊という言葉こそ二度出てきますが、

聖霊そのものについては、実質的には何も語られていません。人々が聖霊

に関心を持たなかったために、聖霊の神学は発展も構築もされなかったわ

けです。




 西欧「キリスト教諸国」で発展したプロテスタント神学では、カトリッ

クとの争いの中で、聖書の権威が高揚され、救済論に大きな力が注がれた

のは当然です。それが彼らの必要性、彼らの社会の必要に合致したからで

す。ところが、いま私たちはまったく別の世界に住んでいます。まったく

別の必要を抱えています。精神文化も知的文化も違います。たとえ産業や

技術をはじめとする、「物」の文化では多くの共通性をもち、自由経済主

義を基本として理解しあえたとしても、形而上の問題、つまり、精神とか

心、あるいは神とか宗教とか礼拝という事柄については、まったく異なっ

た土壌に生きているのです。




 西欧のキリスト教神学は、神の存在に疑いを持つ人がほとんどいない中、

山の神を拝んだり、海の神を祀ったり、牛の神に頭を下げたり、猫の神に

供物を備えたり、果てはネズミの神を恐れたりする人々もいない中で、構

築された神学です。自然を神としたり、自然物の中に神が宿っていると考

えたりする神観、あるいは世界観の人たちのために考えられ、発展させら

れた神学でもありません。キリストのことなどまったく知らない人々への

神学、そのような人々ばかりが住む世界の必要のために、深められた神学

ではないのです。




 これを理解しないままで、牧師たちが一所懸命に聖書を用いて西欧神学

を説明しても、あるいは西欧神学を道具として聖書を説いたところで、日

本人は理解しないのです。理解することができないのです。ただ、はなは

だ異質のものとして、拒絶反応を持ってしまうのがおちです。日本人に必

要なのは、救済論的な神学、あるいはキリスト論的な神学、言うならば、

「神学の木」の花や実ではなく、神論という「神学の根」を取り扱ったも

の、キリスト教の教えを知らない人ともある、程度の共通理解あるいは共

通意識を持ちながら、話していける分かりやすい神学です。しかもただや

たらに、「偶像礼拝偶像礼拝」と騒ぎ立てる子犬のような、ひとりよがり

に異教徒を見下した西欧神学ではなく、もっと深く聖書に根ざした、異邦

人に対する公平な神学なのです。


つづく


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2011年01月01日

日本人のためのキリスト教神学 (7)


 

自然を通して自己啓示をされる神



 私たちの神は自然を造り、自然をご自分の中に収め、自然を支配し、また

自然の中におられる神ですが、それだけでなく、自然を通してご自分を現し

てくださる神です。ダビデは歌いました。


  天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
  昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ知識を示す。 
  話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。
  しかしその呼び声は全地に響き渡り、
  そのことばは、地の果てにまで届いた。   (詩篇19:1〜4)



 神の万物の創造が、何を目的としていたのか、詳しくは分かりません。

神が人間をお造りになった目的も、説明しきることはできません。まさに、

「神のみ心は神の御霊のほかに誰も知らない」のです。(Tコリント2:

11)ただ、その究極の目的は、神の栄光を現すためであるということは知

っています。(エペソ1:14)でも、神の栄光を現すとは、どういうこと

なのかさえも、しかとは分からないのです。




 私たちは、自然が神のみ手の業を示すものであることについて、もう少

し敏感になるべきだと思います。西欧のプロテスタント神学では、救済論

に重点が置かれてきたために、神の啓示についても、救いに関する啓示の

みに強調が置かれ、いわゆる自然を通しての啓示にはあまり関心が払われ

なかっただけでなく、かえって否定的に取り扱われてきました。





 確かにパウロは、「知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるので

すか。この世の議論家はどこにいるのですか。神はこの世の知恵を愚かな

ものとされたではありませんか。事実、この世が自分の知恵によって神を

知ることがないのは、神の知恵によるのです」と語って、自然啓示を通し

ての神理解を、十字架のことばすなわち救済に関わる啓示と対比し、自然

啓示によっては、人間は救いの知識に至らないと主張しています。(Tコ

リント1:17〜21)


 

 ところがその同じパウロが、ローマ書においては異邦人の間違った信仰

に言い及んで、次のように語っています。「なぜなら、神について知りう

ることは、彼らに明らかだからです。それは神が明らかにされたのです。

神の見えない本性、永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、

被造物によって知られ、はっきりと認められ・・・・・。彼らは神を知っ

ていながら神としてあがめず、感謝もせず・・・・・」(ローマ書1:19

〜23)パウロは、たとえ自然啓示によって、人間は救いに至る知識を得る

ことはできないとしても、基本的な神の知識には至ることができたはずだ

と言っているのです。




 パウロによると、救いに至る知識を持っていなかったことが、異邦人の

罪だったのではありません。被造物、すなわち自然を通して神の本性を知

ることができたはずなのに、それを知ろうとせず、神の不滅の栄光を、滅

び行く人間や、獣や鳥、這うものの形に似たものに変えてしまったことが、

異邦人の罪でした。その罪のゆえに、神は異邦人を恥ずべき心の欲情に引

き渡してしまわれたのです。



 
 西欧プロテスタント神学は、カトリックとの戦いの中で形成され、救済

論に重点が置かれたために、この自然啓示の大切さ、重要さを見落として

きました。しかし、キリスト教の背景を持っていない日本人に大切なのは、

キリスト教の神を知らない人に対する神学です。キリスト教の背景を持ち、

たとえ誤りが多くおぼろげであったとしても、旧約聖書と新約聖書を通し

て啓示された、神についての知識を持っている人たちに対する神学では、

充分に対応することができないのです。したがって、パウロが語る可能性、

つまり、人間は自然の啓示を通してでも、基本的な神理解に到達できると

いう事実を、もっと真剣に考えなければならないのです。




 ローマ書1章のパウロの記述を読んで、日本古来の神道、日本人の素朴

な神意識の表現である神道を考えると、パウロの言うことに当てはまらな

いところがあるのに気付きます。、それは、日本の古来の神道には偶像が

ないことです。パウロが激しく非難してやまない愚かな宗教行動である偶

像礼拝、不滅の神の栄光を朽ちるべき人間や獣や鳥や這うものに似せてし

まう偶像礼拝が、日本人の魂の故郷と言われる神道には欠けているのです。

もちろん、仏教が伝来し、その影響を受けた後には、神道にも偶像礼拝が

入り込みましたが、本来の神道には偶像礼拝がほとんど見られず、今でも

純粋な神道には偶像がないのです。ご神体といわれるものも、存在はしま

すが、それすらも偶像そのものではなく、ちょうどイスラエルの契約の箱

や聖所のように、神とその臨在を象徴するものに過ぎないのです。



 
 西欧から来た宣教師たちは、神道を見て、直ちに異教、偶像礼拝と見做

して敵対行動を取りましたが、パウロの言うところをきちっと理解し、神

道の本質を学んでいたならば、もう少し異なった行動をとることができた

はずです。かつてアフリカで宣教師をしていた日本人牧師に聞いたことが

あります。アフリカの偶像礼拝と言われるものの多くも、実は、西欧の宣

教師たちがそのようなレッテルを貼り付けただけで、実際は、偶像礼拝と

異なるものだということでした。




 少なくても日本人は、不滅の神の栄光の姿を朽ち果てるものに変えてし

まうことはありませんでした。その理解は不充分で間違いもたくさんあり

ます。神から隔絶されていたのですから、至極当然なことです。しかし日

本人は、聖書の時代のイスラエルの周辺民族のように、人や獣や鳥や這う

ものに似せて作られた神々を、拝んでいたのではないのです。ただその理

解がはなはだ曖昧なために、容易に仏像の神々しい煌びやかさに驚いて、

それに惹かれてしまうところもありました。様々な宗教の影響を受けて、

ご神体を作り偶像として拝んだ場合もありました。それでも、日本人の魂

の故郷である神道の中心は、偶像を持たない形で継承されてきたのです。




 パウロによると、人間が朽ちない神の栄光を朽ちる被造物に似せて、偶

像礼拝を行ったために、神は人間を心の欲情のままにお任せになりました。

あらゆる罪がそこから酷くはびこるようになったというのです。日本とい

う国にも、罪は広くはびこりました。犯罪は社会を腐敗させて来ました。

しかし、多くの国々に比べると、日本は非常に犯罪の少ない平穏な社会で

す。日本人の道徳心の高さは、西欧のどのようなキリスト教国にも劣りま

せん。大変不思議なことです。西欧キリスト教諸国は、聖書の教えがあり、

教会があり、クリスチャンたちがたくさんいても、あの程度のところに留

まっているのです。




 日本にはキリスト教の背景がありません。教会もクリスチャンの力も微

々たるものです。ところが、日本は非常に高い倫理性を保っているのです。

驚いたことに、ある有名な国際的調査機関の調査によると、日本のクリス

チャン人口は60%を越すというのです。この調査機関は、どれだけの人

がクリスチャンであると自覚しているかではなく、聖書の教えが、どれだ

け個人と社会の中で受け入れられ、守られているかという基準で調査をし

たのだそうです。すると日本人と日本社会は、ドイツよりも高い基準で、

聖書的だというのです。




 私たちは、聖書の神を知らない日本人に対して、聖書の神を知らない人

に対する神学をもって、接していかなければならないはずです。


                               つづく









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2010年12月31日

日本人のためのキリスト教神学 (6)



自然をお造りになった神


 日本人の素朴な信仰心は、すべての自然物の中に神の存在を認めてき

ました。ところが自然物そのものを神とする感覚とは、必ずしも一致し

ません。自然は神を宿してはいても、神そのものではないと感じている

人が多いのです。聖書の示す神観によっても、自然は神の中に存在し、

神は自然の中に存在しているとは言えるのですが、自然は神であるとも

神は自然であるともいえないのです。




 面白いことに、日本人の宗教意識の中には、創造神という感覚はあま

りありません。存在物には創造者がいるはずだという理論的思いはあま

り発達せず、神性を内に秘めた自然物が、はじめから存在していたと感

じているのです。日本人は、昔から非常に実利主義的傾向が強かった民

族です。あくまでも、自分たちに利益をもたらすものを大切にして来ま

した。ですから、自分たちの現在の生活にほとんど関わりを持たない、

誰が天地とその中の物を造ったかなどという大昔の出来事、すなわち形

而上学の問題には、あまり頓着しませんでした。いま自分が生きている

周囲の事象、花鳥風月のほうがよほど大切であり、いまあるものとの関

係の中の神のほうがもっと重要だったのです。




 一方西欧の神学では、すべてを超絶した天地創造の神という形而上学

的な問題を、大きく取り扱いました。日本に遣ってきた宣教師たちも彼

らに指導された日本人たちも、そのような感覚で、日本人に神を教え、

キリスト教信仰を紹介しようとしたのです。でも、聖書自体は神を形而

上学的には論じていないのです。確かに、神が天地を創造された方であ

るという事実は、幾度も強調していますが、それはあくまでも形而上学

の問題としてではなく、今生きている人間に関心を持ち、祝福し、救い、

助け、導こうとしておられる神が、一体どのような神であるかを教えて

いるだけなのです。その神は、周辺の諸民族が礼拝し恐れているような

小さな神々ではなく、どんな苦境からも人間を助け出すことができる力

強い神であること、天地を創造した全知全能の神であり、信頼に足る神

であることを示したわけです。




 神は聖書を通して、あなた方の神である私は天地を創造した大きく力

強い神であり、あなた方をも創造した神なのだから、この私だけを礼拝

し、あなた方の人生を任せなさいとお語りになっているのです。天地創

造の物語は、天地創造の経緯や順番や科学的事実を伝えようとしたもの

ではなく、私たちが礼拝する神は、私たち礼拝するにふさわしく、私た

ちが信頼するに足る神である事を明らかにしているのです。




 平田篤胤は、ご法度を破ってバテレンの書物に学び、キリスト教神学

に似せた神学を建て、復古神道の基礎を据えた人物です。それが後に明

治政府に取り入れられて、天皇制の基盤となり、現人神につながり、軍

国主義になだれ込んでいったのは歴史が示すとおりです。平田は天御中

主神(アメノミナカヌシノカミ)を創造主と見立てました。ただしこの

神は人間とはほとんど関係を持たず、出る幕も少ない、あたかも理神論

の神のように理屈上存在しなければならないから、存在させられている

だけの神になってしまいました。




 天皇制や軍国主義とはあまり関わりのない、一般的な日本人の素朴な

神道の感覚としては、むしろ自然も神も、元の元から存在していたもの

と捉えられているように思えます。この神は四季を与え、緑を育み、作

物を育て、人間に幸せを与える「尊き方」として、感謝と賛美と礼拝の

対象となっていると同時に、雷を起こし、嵐をもたらし、天変地異をも

って怒りを表す恐れの対象ともなっていました。




 一方では、神を敬い感謝と賛美と礼拝を捧げながら、他方では、恐れ

慄いて近づきがたいと感じて犠牲を携えていくのは、ほとんどすべての

民族宗教に共通な、本能的なものだと言えそうです。それは、人間が神

に似せて創造されながら、罪を犯して神から隔絶されてしまったという

聖書の記述、あるいは絶対に聖い神に罪ある人間が近づくには、犠牲を

携えていかなければならないという、聖書の定めからも容易に説明でき

るものです。




 また、日本人が創造主と創造物の間にあまり隔たりを置かずに見てい

るのも、今まで論じてきた観点からすると、一つの見方であり、あなが

ちことごとく否定されるべきものではありません。万物はまさに神の中

に存在を許されているのです。自然界は神の中にあり、神は自然界の中

におられるのです。西欧の神学が、すべての存在物を神の外に置き、神

に相対する存在として考えてきたのに比べると、むしろ聖書的とさえ言

えそうです。




 天地創造の神は、ご自分の内に天地をお造りになったのです。神より

大きく深く広く高い、そしていくつもの次元を超えて存在しておられる

ものは、存在しないのです。私たち人間は、その大きな神、空間と物質

と時間とを超えていながら、空間と時間と物資の世界に人間を造り、生

かしてくださっている神を礼拝するのです。聖書はこの小さな人間の救

いを取り扱う書物です。神はこの小さな人間を神のみ姿に似せ、神を感

じることができるように造り、それゆえにこれをいとおしみ、これに幸

せと喜びを与えようとなさったのです。




 聖書は神と人間の関係を説き、神の救いを明らかにしている書物です。

人間の救いと関係のない物語は、聖書には触れられていないのです。ア

ンモナイトの時代も三葉虫の時代も恐竜の時代もマンモスの時代も、聖

書は無視しています。聖書は地球の歴史を語る本ではなく、人間の救い

を取り扱う本だからです。宇宙の広さや光の速さ、太陽系以外の恒星と

惑星、天の川とさらに多くの銀河、拡大しつつある宇宙などにも無頓着

です。人間の救いに関わりが無いからです。他の天体にはまだまだいろ

いろな生物がいると言われ、人類のような高等生物も存在する可能性が

あるとさえ言われていますが、聖書はそのようなことにも一切沈黙して

います。私たち人類の救いには縁遠い話だからです。でも、人類の救い

に少しばかり関わっている、天使たちの世界、あるいは悪霊たちの次元

については、わずかだけ、覗き見ができる程度に見せてくれています。




 私たちは、すべての自然物に神の姿を見ようとする日本古来の神道を、

ただ低級で未発達な宗教という西洋感覚のレッテルを張らず、もっと公

平に見たいものです。汎神論や多神論を低級な宗教と見るのは、聖書の

教えというより、むしろ、啓蒙主義の影響、進化論に根ざした考え方に

よるものといえるでしょう。宗教も、低級な神意識から段々と高度な神

観念に進化発達するものだというわけです。もちろん、日本の神道には

間違いがあります。でも低級な宗教ではないのです。





 そういうわけで私たちは、日本人が自然を神として崇拝するときには、

それらを毛嫌いし、偶像礼拝だと断定し、罪だと糾弾するのではなく、

彼らと一緒に礼拝しながら、自然ではなく、自然をお造りになり、自然

の中においでになる神を礼拝すればよいのです。一緒に礼拝しながら、

自然を拝み自然と渾然一体となっている神を崇めている日本人に、自然

の中にもおいでになる神様は、実は自然をお造りになって自然の中にお

られる神、自然を支配しておられる神である事をお話すればよいのです。





 自然の中にいらっしゃる神を積極的に認めて、その神を礼拝するよう

に励ますのです。日本人が、木を神とし、海を神とし、山を神とすると

き、私たちは、木の中にも海の中にも、山の中にも神がおいでになるこ

とを語り、その神は木を造り、海を造り、山をお造りになった神である

事を語り、自然物をもって私たちを祝福していてくださる神である事を、

優しく伝えればいいのです。しかも、木の中におられる神も、海の中に

おられる神も、山の中におられる神も、異なった神々ではなく、実はお

一人の神が様々な姿を見せていてくださるのだと、諭してあげればよい

のです。




 日本人の神意識の幼稚さ、低級さ、間違いを指摘し軽蔑し、敵視し、

罪悪視し、会話を閉ざしてしまうのではなく、神から隔絶されて、神に

ついての正しい知識を失ってしまった人類の中で、かなり正しい神意識

に近いものを持ち続けている日本人に、敬意を表しながら会話を続け、

共に住むことが大切なのです。

                                 つづく















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2010年12月30日

日本人のためのキリスト教神学 (5)




 神は霊であり、初めに天と地を創造してくださった方ですから、時間と空間と

物質というものを超越して存在する方です。神の存在の次元は、私たちの三次

元の世界を超えた次元です。その神がお造りになった三次元の世界は、たとえ

どれほど大きく広がる宇宙であっても、わずか一つの次元に過ぎないのです。

もっともっと他の次元が存在するのです。それは聖書の記述を見れば明らかで

す。神だけの次元があり、天使たちの次元があり、悪魔や悪霊たちの次元があ

り、死後の世界といわれる次元があり、その中にもどうやらアブラハムの懐と

呼ばれる善人が行く次元があり、悪人が行く次元もあります。アブラハムの懐

と呼ばれる次元がパラダイスと呼ばれる次元かどうかは確実なことはいえませ

ん。さらに甦って再臨のキリストに携え上げられる次元があり、ずっと時代が

進むと、悪魔や悪霊に従う者たちが閉じ込められる次元があり、さらに彼らが

最終的に刑罰を受ける次元があり、新天新地の次元があります。厳密に調べる

ならば、さらに別の次元が考えられることでしょう。




私たちの神はこのように次元を超越して存在される方ですから、神のいない

場所を想定することがおかしいのです。神が天と地と呼ばれる宇宙をお造りに

なったときでさえ、ご自分の外側に宇宙をお造りになったのではなく、内側に

お造りになったのです。神は宇宙の外側にいるのではなく、宇宙の内側にいる

のでもないのです。神は宇宙より遥かに大きく、宇宙をご自分の中に収めてお

られるのです。私たちが家を作るとき、わたしたちは自分の外に、対象物とし

て、自分より大きな家を作ります。そしてその中に出入りします。しかし、神

が宇宙をお造りになったとき、神はご自分のうちに宇宙を造り、その宇宙全体

に満ちておられるのです。
  



 神は、木の中にも石の中にも、水の中にも、山の中にも、花の中にも、穀物

の中にも存在しておられます。太陽や月や星の中にも神は存在しておられます。

そしてそれらを超え、それらを支配し、それらを包み込んで存在しておられま

す。日本人が木や岩や山などの自然物の中に、神を認めるのは間違いではない

のです。万物は神の存在を表しているのです。存在するすべてのものの中に、

神はいらっしゃるのです。神のいらっしゃらないところは、存在しないのです。

パウロがギリシヤ人の言葉を引用して語ったように、「私たちは神の中に生き、

動き、また存在しているのです」(使途17:28)




 日本人が万物を神として崇めるのは、確かに間違いであり、愚かなことです。

しかし、啓蒙思想に流され、理神論的になりかけていた西欧神学が教える神よ

りは、間違いが小さいとさえ言えそうです。日本的な汎神論は、西欧プロテス

タントの神学が言っているほど低級な神意識ではなく、かなり真に迫った神意

識であるといえるのです。万物の中に神聖なもの、あるいは「神」を認めるの

は、聖書が教える神観念に非常に近いのです。またそれを恐れ敬い感謝を捧げ

るのは、聖書が教える本来の神礼拝にさほど遠くはないのです。



                               つづく









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2010年12月29日

日本人のためのキリスト教神学 (4)

 

 汎神論の日本人
 

 神を求める本能を持った日本人は、神から隔てられたままに独自の文化を

形成し、独自の神意識を発展させてきました。それは、基本的に汎神論とい

われる性質のものです。そして多くの日本人は、自分たちが汎神論的感覚を

持っていることを、誇りにさえしています。たとえば、「日本人は汎神論だ

から、自然を神として敬い大切に守り続けてきたのだ。西欧人は自然を神の

創造物として見て、自分たち人間はその自然を治めるものとして、立てられ

ていると考えるために、自然を大切にせずに破壊してしまう」などという言

い方を耳にします。どう聞いても、これは我田引水にすぎません。




 欧米に比べても、日本人が自然を大切にしているとは思えません。列島改

造論が盛んだった頃の自然破壊は、まさにけたたましいものでした。最近叫

ばれるエコロジーも、日本発祥のものではありません。ただ自然を神とする

日本人には、エコロジーは馴染みやすいところがあることだけはたしかです。

世界のエコロジー運動を見ても、しばしば背後に汎神論的性格が見え隠れし

ます。




 一般的に言って、たしかに日本人は自然を愛し、自分を自然の一部と認識

し、その中にさえ神聖なものがあると思うのです。果たしてこのような感覚

は、西欧キリスト教が言うほど愚かな宗教意識なのでしょうか。偶像礼拝で

あり、非難され、論駁され、排斥されるべきものなのでしょうか。そうでは

ないはずです。日本人は、誰が神であるかを教えられていないために、汎神

論的感覚に染まっているだけです。




 自然が神の性質の反映であることは、これまでの西欧神学においても認め

てきました。絵画でも陶器でも文学でも、芸術作品は作者の性質や性格や思

いの表現です。作品には作者が現わされているのです。おなじように、自然

物は神の作品であり、神の性質や性格、さらには力や能力が表現されている

のです。詩篇の作者がうたったように「天は神の栄光を語り告げ、大空は御

手のわざを告げ知らせる」のです。それらの自然の中に、神の姿を認めるの

はごくあたりまえであり、当然の事です。




 汎神論は低級な宗教感覚か


 ところが新約聖書のパウロの表現を見ると、もう少し考え方を深めること

が出来ます。パウロは神を、「すべてのものの上にあり、すべてのものを貫

き、すべてのものにうちにおられる、すべてのものの父なる」方と呼んでい

ます。(エペソ4:6)「すべてのものの上にあり」は、すべてのものを超

越し、力においても権威においても栄光においても卓越しておられる方とし

て、西欧神学でも充分に論じられてきました。「すべてのものの父」なる方

も、西欧神学で充分に論じられてきました。しかし、「すべてのものを貫き」

と「すべてのもののうちにおられる」という意味はあまり論じられたことが

ありません。




 甦られた主イエスが、閂をされたドアを難なく通り抜けて弟子たちのとこ

ろにおいでになったことがあります。これは手品でも奇術でもなく、甦りの

体という、異なった次元の体をお取りになったイエス様だから出来たことで

す。ましてや、物質に捉われない霊であられる神を妨げるものはありません。

神はすべてのものを貫いて存在しておられるのです。




私たちの神は純粋な霊ですから、どのような高密度な物質も、神を止める

ことができません。現在の私たちの理解では、私たちの周囲にある物質はみ

な、たとえどのように高密度であっても、すかすかのスポンジのようなもの

であり、それを何の妨げにもせずに貫き通してしまう物質があるそうです。

超新星の爆発や恒星の核融合によって放出されるニュートリノという物質は、

地球さえ難なく貫き通してしまいます。ましてや神は、超新星の爆発の後に

残されたブラックホールの核の部分にある、超過密物質、つまりあまりにも

密度が高くそれだけ重く引力が強いために、光さえ引き込まれて閉じ込めら

れてしまうほどの超過密物質さえ、1立方センチで何兆トンあるいはさらに

重いかも知れない物質を、何の妨げにもせずに貫いて、自由に通り行き来し

ておられるのです。




 ですから神は、「すべてのもののうちにおられる」と言われているように、

すべてのものの中に内在もしておられるのです。これは、クリスチャンのう

ちに住んでおられるという意味の内在とは意味が違うものです。クリスチャ

ンのうちに住む、あるいは神殿の中に住むといわれる場合は、特別の親しさ

を意味しているのであって、そこに存在しているという意味とは違うからで

す。臨在という意味も同じです。神の臨在のないところには神が存在しない

という意味ではないのです。存在という意味では、まさにありとあらゆるも

のの中に、神は存在しておられるのです。神が存在していない場所、所、次

元などはあり得ないのです。地球を貫く物質があるのですから、神は地球を

も貫いてその真ん中にも存在しておられます。

                                 つづく







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2010年12月28日

日本人のためのキリスト教神学 (3)



 おぼろげになってしまった神のイメージ


 人間は神にそむく罪を犯して神のみ前から追放されてしまいました。神から

隔絶された状態、神との交わりを絶たれた状態で生活を続けなければならなか

った人間は、神のイメージを明瞭に保つことが出来ませんでした。世代が代わ

り歴史が流れるごとに、神についての知識は曖昧になり、感覚は薄れ、おぼろ

げにぼやけたものになってしまったのです。



 それは日系三世や四世の人たちが、姿かたちは日本人なのにまったく日本語

が話せず、日本の習慣も文化もすっかり失っているのと良く似ています。人間

の宗教感覚は本能として与えられているために、たとえ確実な知識は失われて

しまっても、神を感じ、認め、祀り、礼拝するという思いは、いつまでも失わ

れることがなかったのです。世界中のどの地域のどんな民族でも、また歴史の

どの時点でも、おおよそ人間である限り宗教的表現があったのは当然です。

 


 偶像礼拝に寛容な神・十戒以前



 これもまた非常に重要なことで、西欧周りのキリスト教の多くが見逃してい

る点ですが、聖書の神は、偶像礼拝には非常に寛容な神だという事実を、認め

なければなりません。西欧キリスト教は、キリスト教文化を前提に聖書を読み、

イスラエル文化を背景に聖書を理解しようとします。その結果、自分たちは神

の選民であるという強烈な意識が、イスラエル人の間に芽生えた後の文化と信

仰様式のみに焦点を当て、まだ選民意識が強烈にはなっていなかったころの聖

書の記述には、あまり関心を向けないままに来てしまいました。



 その結果、選民とされた民族に、選民として生きることを教えた律法を、選

民ではない人々、つまり異邦人にまで直接適用する間違いを犯してしまいまし

た。モーセの十戒が与えられる前の、イスラエル民族(ヘブル民族といったほ

うが適切)の偶像問題に対する神の取り扱いは、十戒以後のイスラエルに対す

る取り扱いとまったく異なっています。イスラエル民族が選民であるという事

実は、創世記12章のアブラハムの召しにまで遡って考えられますが、イスラエ

ル民族が選民である事をしっかりと意識するのは、モーセの律法が与えられて

からのことなのです。



 それは、十戒に代表される神の律法を、アブラハムやイサクやヤコブ、ある

いはヨセフや青年時代のモーセに適用してはならないということを意味してい

ます。




 偶像礼拝に寛容な神・異邦人に対して


 また、異邦人の偶像礼拝に対する神の取り扱いも、まったく異なっています。

一言で言えば、非常に寛容なのです。人々が他の神々を礼拝していても、イス

ラエル民族に対しての場合のように、直接神の怒りや刑罰の対象になることは

なかったのです。彼らには律法が与えられていないからです。日本人は十戒を

与えられたイスラエル人ではありません。律法を与えられた選民ではないので

す。ですから、神の寛容な取り扱いの中にいるのです。パウロがアテネの人々

に語った言葉が適用されるべきです。日本人はアテネの人々と同じように、

「すこぶる宗教に熱心」なのです。



 日本人は、何が食べることが出来るもので、何が毒なのか教えてもらってい

ない子どもが、おなかを空かしている状態に似ているのです。渋さにつばを吐

き出し、えぐさに顔をしかめ、下痢に悩み、腹痛に苦しんでも、空腹のあまり、

どうしても何かを食べないではおれないのです。日本人も、たとえ神について

の知識を失って、何が神かは分からなくなってしまったとしても、神を求め、

神に祈り、神を礼拝する本能は失っていないのです。

つづく






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2010年12月27日

日本人のためのキリスト教神学 (2)


T.日本人が感じてきた神


 一般の日本人の、宗教意識のもっとも深いところにあるのは、すべての自

然物の中に神の性質を感じる感覚、あるいは、すべての自然物の中に神が宿

っていると感じる感覚と言えます。この感覚を理屈で表現したのが、いわゆ

る「汎神論」といわれるものです。



 すべての自然物、ときとして人造物にまでおよぶこの感覚は、日本人だけ

ではなく、世界中の多くの民族が共有するものですが、実際のところは、論

といえるほど整ったものではありません。確かに日本人のこの汎神論的感覚

は、特に顕著であると言えるかも知れません。日本人の曖昧な神観では、自

然それ自体が大きな神であり、それぞれの自然物あるいは自然現象が、個々

の格(神格?パーソン)を持った神であると感じたり、大きな神の部分的な

顕現であると感じたりているのです。そしてこれはあくまでも感覚であって、

理屈ではないのです。



 ですから日本人は、深山に入り込んでは、しっとりと湿った木陰に霊気を

感じて祠を建て、大きな木々に感嘆して注連縄を張り、幽玄な光景に触れて

鳥居を建てたくなります。目には見えず、五感には感じられなくても、そこ

には何か尊いお方、高いお方、聖いお方、強いお方、奥深いお方がおわしま

すと感じて、頭を垂れ、手を合わせるのです。普段は、ことさら何を願うの

でも何を訴えるのでもなく、ただ、ありがたいと感じ尊敬の念を表すのです。



 そのような感覚はまた、容易に多神論に移行し、八百万の神々を作り出し、

さらにはアニミズムの世界観を作り出し、おどろおどろとした怪奇な宗教感

覚さえ生み出します。ルネサンスを経て一段と強められたギリシヤ思考が、

啓蒙思想、理神論と流れていく中で形成されたプロテスタント神学では、一

部の神秘主義的傾向の神学を除いては、このような日本人の宗教意識、ある

いは宗教感覚というものを、低級なものと看做して受け入れることが出来ず、

ただ侮蔑し排斥する一方でした。




 神に似せて造られた人間


 ところが聖書によると、人間は神に似せて造られています。ここが非常に

重要な点です。神の姿に似せて造られた人間は、本能として神を感じ、神を

知ることができる感覚を持ち、神と交わりたいという願いを持っているので

す。それこそが、人間を他のすべての動物と異なったものとしているもので

す。神を感じ神を求める感覚、宗教意識は、まさに人間が人間であることの

本質なのです。この点をはっきりと認めなければ、私たちは、一般的西欧キ

リスト教が偶像礼拝を憎むあまり、人間の宗教性の発露そのものまでを罪悪

視するのと、同じ誤りに陥ってしまいます。



 さらに、人間の宗教意識の発露そのものは、神に造られた人間の本能によ

るものであり、罪ではないことも理解しなければなりません。ただ、その宗

教意識が表現されるとき、神の本当の姿を忘れてしまった人々は、誤った神

の姿を心に描き、間違った礼拝の仕方をしてしまうだけなのです。その誤っ

た神の姿を描くこと、間違った礼拝の仕方をしてしまうことさえ、罪そのも

のではなく、かえって罪の結果なのです。



 大食いをして腹を壊すのは、小さいとはいえ一つの罪です。それが習慣と

なって太りすぎになるのも、自分を制御できない罪です。しかし、食欲があ

り、食べたいと願い、食べ物を探すのは罪ではありません。間違って毒のあ

る物を食べてしまったとしても、それは無知によるのであり、意図的におか

す罪とは異なります。神でもないものを神として拝むことは、それ自体意図

的な罪ではないのです。ただし、きちっとした食べ物があり、毒のあるもの

を食べてはならないと教えられているのに、あえて毒のある物を食べるのは

明らかな罪なのです。


                                つづく









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2010年12月26日

日本人のためのキリスト教神学 (1)

日本人のためのキリスト教神学


はじめに


 プロテスタントキリスト教が日本に入ってきて150年になりました。その間日

本人は、もっぱら西欧キリスト教諸国で理解され、形成され、構築された神学に

立った福音を聞かされてきました。それらの神学の中でも福音派の神学の多く

は、聖書的な基盤をしっかりと持った信頼に値するものでした。とは言え、それ

を聞き、学ぶ多くの日本人にとっては何かおかしい、なんとなく合わない、どこ

か異質なものであり続けました。明治以降の為政者の多くも、進んだ西欧の諸

科学を取り入れようとすると、どうしても一緒に入って来てしまう招かざる客、

迷惑な宗教としてキリスト教を見ていました。和魂洋才は、敗戦後の短い一時

期を除いては、日本の国是であり続けたのです。



 
 そのような日本人の感覚に拍車を掛けたのが、ギリシヤ思考の流れの中に形

成された、ヨーロッパ的キリスト教の神学、あるいは福音でした。ギリシヤ帝

国はローマ帝国に滅ぼされたあと、再び世界を支配する力にはなりませんでし

たが、その思想あるいは思考においては新たな支配者となったローマ帝国を支

配し、ローマ帝国の軍事的支配と影響力に乗って、その後のヨーロッパの文化

と思想を支配したのです。ローマ帝国の支配に乗って自らの力を拡大したキリ

スト教も、信仰としては自らのアイデンティティを残しながらも、決定的に本

来のユダヤ思考を離れ、ギリシヤ思考に変化していきました。



 私たち一般の伝道者たちも、ギリシヤ思考に支配されたヨーロッパで構築さ

れた神学を学びました。そしてそれに不審を抱きませんでした。明治以降の日

本の教育は積極的に西欧の教育システムを取り入れていたために、私たちもギ

リシヤ的思考に慣らされていたのです。ときおり、神学として学ぶキリスト教

と、聖書に読む天地創造の神に対する信仰とのあいだに、かすかな違和感を持

つことがあったとしても、あえて取り上げるほどのものとは思われなかったの

です。



 しかし改めて考えてみると、イスラエル民族にご自分の御心をお示しになっ

た、神の啓示と霊感による神学の形態というか、様態は、私たちが学んだ西欧

神学、ギリシヤ思考によって構築された神学の様態とは、ずいぶんと異なった

ものなのです。そこにあるのは理性的な知識の集積としての神学、理論の構築

としての神学ではなく、経験や体験から学び取らせる神学なのです。そのイス

ラエル人たちの信仰表現の多くも、構築された神学の講義のようなものではな

く、歴史記述であったり、詩歌であったりしたのです。



 筆者が考えていることは、今、日本人がイスラエル民族のように経験や体験

による神学に戻るべきだとか、歴史や詩歌を通して信仰を表現すべきだという

ことではありません。仮にそれが必要になることはあったとしても、目的はそ

こにありません。ただ、もっと日本人のものの感じ方、考え方に沿った信仰の

表現にすべきであり、日本人の感性に応じた神学の形態、あるいは伝達方法に

すべきだということです。確かに現代の日本人は現代の教育を通して、決定的

にギリシヤ思考にならされています。とは言え、日本人としてかなり共通性の

ある、非ギリシヤ的感覚、あるいは非ギリシヤ的思考を持っていると思うから

です。ユダヤ人にあった信仰の表現と伝達方法があったならば、日本人にあっ

た信仰の表現と伝達方法があると思うのです。


 
 この日本人にあった信仰の表現と伝達方法こそ、いまの日本のキリスト教会

に、決定的に必要とされていることに違いありません。ただしそれは、福音の

日本化を目指すものではありません。あくまでも、普遍的福音の日本的な理解

と表現です。とはいえ、ごくふつうの牧師に過ぎない筆者は、神学者のように

深く追求して書くことはできません。ただ、思いつくことを列挙して、簡単に

述べるにとどめ、後は思考力と表現力に優れた方の出現を待ちたいと思います。


           
                             つづく
                              
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2010年12月19日

フィリピンの教会の姿から学ぶ (2)


2.  個人主義の伝道

欧米キリスト教の最大の悪は、キリストの教えと個人主義をまぜこぜにして、

世界中に広めたことだと言った人がいます。欧米宣教師たち、あるいは書物、

神学によって無批判に取り入れられた個人主義は、フィリピンでも、個人の自

由な伝道を可能にした利点の一方、多くの弊害も産み出しています。



a・血族共同体


 一般のフィリピン人にとって最も大切なものは、家族と呼ばれる血族共同体

です。家族を大切にするという社会の共通認識が高いため、「家族のため」と

いう理由があれば、泥棒も許され、人殺しさえも、刑法的に処罰されても社会

的には許されることがあります。公務員や会社の中には「親族重用主義」がま

かり通り、誰もが当然と感じています。公平な取り扱いをすると、家族を何よ

りも大切にするフィリピンの社会通念に反するため、「家族を大切にしない者」

というレッテルを張られ、公平に抜擢してもらった当の本人たちでさえ、物笑

いの種にするのです。娘たちが日本に身売りするのも、家族の為ならば、もち

ろん立派な行為と考えられています。それでも、内部社会の和の為には法律も

平気で破り、「社会をお騒がせしました」と詫びるだけで、法律に違反したこ

とについては、意に介しない日本人よりは「まだまし」かも知れません。




 こういう家族の繋がりの強い中で、個人的な決断を重んじるアメリカ的な伝

道は、皮相的で効果がありません。親戚親族の中で最も有力な者ならいざ知ら

ず、一人の人間が、宗教を変えるような一大事を、個人の判断と決断でするわ

けがないからです。



 フィリピンの人口5万人以下の地方教会の大部分は、構成人員の90%以上が

一つの大家族によって占められています。つまり、アッセンブリー教会という

のは名ばかりで、実際は、田吾作の縄張り教会、権兵衛の身内の教会となって

いて、それぞれ、多吾作の家系に属さない者や、権兵衛の親族でない者は出席

できないのです。出席できる一割程度の者は、そのような権力を無視できる

「強い一匹狼」か、だれからも無視されている「ちっぽけな」人間だけとなる

わけです。



 フィリピンの家族制度を認めた伝道を考えるならば、ひとつの村、ひとつの

町、ひとつの市に、たくさんのアッセンブリー教会を作るべきです。始めは田

吾作の家族教会、権兵衛の親族教会、与太郎の家系教会、熊さんの権力範囲

教会で良いのです。それがやがて、キリストにあって、隔ての間垣が取り除か

れひとつにされているのだという、霊的事実に生きることができるようになる

のです。



 ところで、フィリピンのアッセンブリー教団には、存在するアッセンブリー

教会の半径7キロメートル以内では、伝道を始めてはならないというおかしな規

則があります。わたしが伝道したバギオ市も、半径7キロメートルにすっぽり人

ってしまう規模で、すでにひとつのアッセンブリー教会が存在していたために、

たとえその教会がどれほど惨めな状態にあっても、新しく開拓を始めることは

できませんでした。5年間待った上で、わたしは聖書の理念を支えに教団総理

を説き付せ、教区長を説得し、その教会の牧師とは4時間に渡って激論を交わし

た上で納得させ、初めて伝道を開始したいきさつがあります。幸い、現在はい

くつものアッセンブリー教会があるようです。

 

 縄張り争いは日本にもありますよね。牧師たちの肝っ玉が小さいからです。

1キロメートルも歩かないのに、小僧寿司の店が三つもある町がありました。

ふたつ三つのアッセンブリー教会が近くにあったら、全体で考えると、客が増

えると思うんですが、お客さんを奪いあって喧嘩になりますかね。



b・三つの自立主義

 
 近代宣教の理論的柱として、米国アッセンブリー教団も全面的にこれを取り

入れ、強烈な推進者また擁護者となったものに、「インディジナス・セオリー」

があります。これは、宣教地の教会ができるだけ早く、経済的自立と政治的自

立と伝道的自立の、三つの自立を果たすように促すべきだという主張です。



 この方策は、多くの宣教地で大きな効果を上げて来ましたが、一方、様々な

弊害も産み出し、ここ20〜30年、宣教学の中で論議されてきました。遅ればせ

ながら、(アッセンブリーの中からも、最近そのような声が聞こえるようにな

りました。今年の1月に出されたAsian Journal of Pentecostal Studies

誌に載ったAPTSの学長、カーター博士の論文もそのひとつ)これらの議論のほ

とんどは、実践的な面のみを取り扱っていて、この理論自体が、非聖書的な個

人主義の理念に立っているという、最大の欠点を見逃しています。非聖書的な

個人主義の理念と方策によって建てられた教会は、否応無く、非聖書的な個人

主義の色彩を強く帯びる、不健全な教会になります。ことにフィリピンのよう

な、血族共同体意識、地域共同体意識の強い国では、これがどれほど健全な教

会を立て上げる弊害になって来たか、計り知れないものがあります。



 信徒たちがいがみあい、伝道者たちが争い合う。選挙になれば「現ナマ」が

飛び交い、凶器まで隠されているという、コリントの教会も真っ青のフィリピ

ンの教会。愛の交わりや助け合いは滅多に見られず、教会間の協力も希薄なフ

ィリピンの教会。このような教会ができた理由には、文化的、社会的背景もさ

ることながら、非聖書的な個人主義的教会観があったことが明白です。



3. ペンテコステ的伝道

 
 行き当りばったりの「はったり伝道」が、ペンテコステ的であるという、拭

い難い通念があります。良く言えば、人間の計画や能力を越えてお働きになる

神様への、素朴な信頼がそうさせているのだとも言えます。ペンテコステ的伝

道とは、神様は現在もモーセの時代と同じように、あるいはパウロの時代とお

なじように、お働きになるという信仰に立った伝道です。



 フィリピンは迷信深いカトリック国、日本は科学的仏教国などと言われます。

しかし両方とも、基本的にアニミズムの国です。心の深層では人間の世界と精

霊の世界に隔てがありません。幽霊や背後霊をはじめ守護霊や魑魅魍魎が、テ

レビと一緒に茶の間に顔を出し、ご先祖さまが生きている人間のなりわいに、

いちゃもんを付けるのは、日本もフィリピンと同じです。実際、世界中どこで

も、基本的にアニミズムの感覚をもった人間が大部分です。そして聖書の背景

になっている世界も、聖書が教えている世界も、アニミズムの世界観と共通し

ます。



 ところが、啓蒙思想の影響を受けた西欧キリスト教は、このような世界観を

古い迷信として片付けてしまい、そのような世界観の中でお働きになった、神

様を否定してしまいました。西欧キリスト教の神様は、人間の理性の範疇内で、

科学的原則にのっとってしか働けなくなってしまったのです。



 このようなキリスト教は、悪霊に取り愚かれ、幽霊に悩まされ、サントニー

ニヨ(マゼランが持って来た幼児期のキリスト像の複製で、どこの家庭にもあ

る)が夜中にダンスするため眠れない人たち、夢でいろいろ悪いお告げを受け

たため、豚の犠牲をたくさん捧げなければならなくなった人たちに、何の助け

にもなりませんでした。また薬も医者もない、あってもお金がないという、大

多数の人々の慰めにもなれないで来ました。



 それに対してペンテコステ的伝道は、「愚か」にも、今も生きて活躍してお

られる神様を信じる信仰から出ています。とくに、神学も何もない「平信徒」

は、単純に聖書を読み、そこに書いてある通りのことを信じ、書いてある通り

を実行しようとしました。



 もちろんどこの信徒たちも、信徒らしい素直さをもって、聖書に書かれてあ

る通りの奇跡を期待したでしょうし、悪霊を追い出してほしいと、宣教師や牧

師にお願いしたこともありました。しかし彼らは、しっかりと神学を学んだ

「玄人の教職者」に叱られるか、良くても失笑を買うのが落ちだったのです。



 結局、多くのプロテスタントの信徒は、形而上学的な教理に於いては、立派

なクリスチヤンでありながら、病気、家庭のいざこざ、悪霊、幽霊などの日常

問題については、相変わらず占い師や祈祷師、あるいは信仰治療師のたぐいの、

お世話になり続ける他なかったのです。



 幸い、初期のアッセンブリーの宣教師は、神学的素人で「迷信深い」人たち

でした。自分もキリストの名によって悪霊を追い出し、病気を癒す一方、信徒

たちにも奇跡を期待するように教えたのです。これはフィリピン人の世界観と

精神土壌と必要性に合っていました。そして神様も、幽霊を恐れたキリストの

弟子たちと同じほどに、愚かで迷信深いフィリピン人たちの信仰を尊び、奇跡

をもって答えてくださったのです。これがフィリピンのアッセンブリー教会の、

力強い成長の要因のひとつであることは、疑いのない事実です。


                            おわり  





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2010年12月18日

フィリピンの教会の姿から学ぶ (1)

  「しっちゃかめっちゃかの成長」
   
    フィリピンの教会の姿


 今回、「アジアの教会成長」という題で書くように言い渡されました。ただ教

会成長という言葉はハモンド・オルガンやジープと同じで、「トヨタのジープ」

ではない、本物の教会成長を論じるとなると、現在のところまず不可能です。ア

ジア諸国の教会には、「教会成長論」の元となる統計や歴史が、資料とされる文

書としては、ほとんど存在していないからです。また私自身、一般の日本人より

はいくらかアジアのことを知っていたとしても、せいぜい、あっちの教会が大き

くなっているとか、こっちの伝道が目覚ましいといった類のことしか言えないか

らです。




 そこで、はなはだ勝手に、自分が18年間滞在し共に働いた、フィリピンのアッ

センブリー教団に的を絞り、その中から、現在の日本の伝道にも、なんらかの示

唆になりそうなことを、二つ三つ取り上げて見ることで、お茶を濁したいと思い

ます。




1. はてしなく無秩序な伝道


 勝手きまま、自由自在、出たとこ勝負の行き当りばったりで、計画もなにもあ

ったものではなく、はてしなく無秩序なのがフィリピンです。多分東南アジアの

大部分の国々は、似たり寄ったりのありさまだと思います。 これは、多民族、多

言語、多文化が入り混じり、常夏の気候の中で楽天的に、しかし、常に部族間の

抗争に脅かされながら生きて来た人々に、共通する生き方とも言えます。伝道

も、教会建設も、このような生活感覚から行なわれています。




 それに拍車をかけたのが、米国の統治下で米国アッセンブリー教団の一教区

として出発したという、フィリピンのアッセンブリー教団創立のいきさつです。

米国アッセンブリー教団は、その成立過程から、中央集権的組織に恐れと嫌悪

感をもって、極めて会衆制度に近い長老制度を取り、個々の教会、個々の信徒

の自由を重んじていました。



 絶対主義のスペインの統治と、中央集権監督制のカトリック教会に慣らされ

ていた人々に、突然押しつけられた民主主義と会衆制度は、形の上では、アメ

リカ的な制度と組織を作り上げましたが、実際のところは、アメリカのような

「大人」の政治形態も教会自治も生み出さず、一方では無秩序教会、他方では

以前にもました絶対主義教会という、まさにフィリピン的な、アナーキー教会

を産み出していました。



 整然とした秩序と綿密な計画を重んじる日本人には、弱点あるいは欠点とし

か見えないこのような無秩序性に、実は、フィリピンのアッセンブリー教会全

体としての強さがあると、わたしは判断しています。 この無秩序性の強さは、

「ゲリラ的同時多発型伝道」という表現でまとめられます。陽気なイベント好

きな民族性をもちながら、娯楽施設の少ないフィリピンでは、華々しい大衆伝

道がもてはやされます。ただしこれは、実際の伝道の効果よりも、伝道者の名

を上げ、献金を集めることに大きな効果があるために、性懲りもなく繰り返さ

れていると言えます。フィリピンで、本当に効果を上げている伝道は、小規模

のゲリラ的同時多発型伝道です。



 これはほとんど計画らしい計画もなく、小さく名もない伝道者や信徒が、親族

や友人のつてを利用したり、やれ空き家があったから、ほらあっちのバリオキヤ

プテン(地区長)が招いているからと言って、教団はおろか教区の許可も、信徒

の場合は牧師の承認もなく、多くの場合、資金的な目安もないままで始めたりす

る、「集会みたいなもの」のことです。



 あっちで始まりこっちで潰れ、向こうで奇跡が起こり、ここでは資金難で青息

吐息という家庭集会や開拓伝道が、フィリピン全体のアッセンブリー教会として

は、毎年数百、あるいは干を越える単位で起こっている。そして、その中の幾つ

かが生き残り、成長して教会になるわけです。1996年、フィリピン・アッセンブ

リー教団は、200以上の教会を加えました。その大部分が、教団も教区も関与し

ない、個教会単位の、あるいは牧師も許可した覚えのない、信徒による勝手な集

会によって始められたものなのです。



 説教はしっちゃかめっちゃかで、神学的には、かなりはなはだ怪しくて、牧会

配慮も何もあったものではないというのが、ほんとうのところだとしても、ボラ

ンティア信徒は伝道をし、集会を継続し、洗礼を授け、聖餐をとり行なって、大

概の場合、やがて、聖書学校を卒業してまだ間もない、青二才牧師を迎えること

になります。殆どの場合、この青二才牧師と信徒伝道者は折り合いが悪く、互い

に涙を流して自己主張を繰り返し、結局、仲良く喧嘩別れをします。こんなこと

を数回やったうえで、なんとか互いに我慢できる牧師と信徒の関係が出来あがっ

て、凸凹に丸くおさまり、10家族前後の教会となるわけです。




 ですから、日本人の感覚から言うと、教会といっても、とても教会とは思えな

いようなところもあるのですが、それなりに立派に救われる人も癒される人もあ

り、豊に賜物をいただいている人もいる、コリントやガラテヤの教会と同じく、

問題だらけの生きた教会であるわけです。




 教団全体としては、どこに幾つの教会があり、何人の信徒がいるのか、皆目わ

からなく、調べようにも、アンケートも完全に無視されるのが普通です。ですか

ら、「教会成長論」の元となる、データも存在しないことになるのです。




 このような伝道方法をそのまま日本に持ち込むのは、無理というより馬鹿げて

いますが、その長所、利点、強みを知り、それを生かすことは有益だと思います。




a・臨機応変


 上部の団体や委員会や牧師の許可と承認を得ることなく、いつでも勝手に伝道

を開始できるのですから、手軽です。前髪だけが長くて後ろが禿げている「チャ

ンス氏」がやってくれば、前からグイと手を伸ばして捕まえることができるわけ

です。そして、うまくいかなければ、あれこれ準備に手間ひまかけ、金を費やし

たわけではありませんから、気軽にすぐに止めることもでき、「傷を大きくする」

こともありません。一般的に、フィリピン人にとっては、何事につけてもとにか

く始めることが大切で、鳴り物入りで始めてすぐ「ぺしゃって」しまっても、だ

れも非難はしませんから、楽な気持ちで手が付けられるわけです。すぐに責任を

追求するのは、こと伝道に限ってはふさわしくないようです。



b・膓物の活用


 伝道者や信徒が、あまり監督者の目を気にすることなく、勝手に活動ができる

のは、より多くの賜物をより良く生かすことにつながります。失敗も多いけれど、

もともと楽天的なフィリピン人は、失敗を恐れて百の努力を重ねて苦労するより、

十の努力だけで失敗を許すほうを選びます。石橋を叩いて渡らない日本人には

何事も起こりませんが、崩れそぅな竹の僑でも、突っ走って渡ってしまうフィリ

ピン人には、「神様の尻拭い」的奇跡も起こります。多くの者が小さな賜物を一

生懸命に用いる内に、だんだん大きな賜物になって行き、やがて多くの者が大き

な賜物を用いるようになります。わたしたちの回りには、日本では数少ない、信

徒上がりの「立派な伝道者」が随分いたものです。




c・安上がりの伝道


 多くの場合、何のてづるも無い所に、「伝道戦略的」に金をかけて開拓を始め

るのではなく、引っ越して行った信徒を追いかけて、家庭集会を始めたとか、あ

っちの集落に信徒の親戚がいて、病気のために祈って欲しいと言っているとか

で、経済的に伝道が始められます。信徒によって始められる伝道はさらに経済的

です。フィリピンは貧しい国です。お金がなければ伝道ができないとするなら、

フィリピンは伝道のできない国になります。



d・井戸端会議


 フィリピンでも、だんだん井戸端会議が少なくなっています。しかし、フィリ

ピン人の典型的なおしゃべりは健在です。バスに乗っても、買物をしていても、

知らない者同志がすぐ親しくおしゃべりを始めます。しかも恐ろしくおせっかい

焼きで、たとえば、わたしを日本人と見ると早速、「結婚している?」「子供は

何人?」「奥さんは日本人?」から始まって、男同士なら、「どうしてフィリピ

ン人のセカンド・ワイフを持たないの?」「なんなら世話しようか?」と続きま

す。これが、一歩踏み込んだ個人の証と、伝道を容易にしています。学校教育

も、黙って聞いて喋らない子供を作る日本とは違って、アメリ力的に何でも上手

に話せるように訓練します。信徒の自由なおしゃべりが裾野にあってこそ、かた

ちのある伝道が広がるのです。


                          つづく
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2010年10月22日

日本の宣教を問う (5)




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W. 文化ではなく福音を



  結局、日本の宣教は、日本人にとって最悪の形で行われてきたというこ

とになります。多くの宣教師たちの献身と犠牲、まじめな日本人伝道者たち

の血のにじむような忍耐と労苦にもかかわらず、非常に残念な形で進められ

てきたといわざるを得ません。




  カトリックの宣教は、どれほど真剣な宣教師や信徒たちの殉教があった

としても、植民地主義の手先となっていたという事実を変えることはできま

せん。明治になってからの宣教も、西欧キリスト教国の植民地主義から、切

り離すことが出来ませんでした。たとえ、実際に日本を植民地化しようとし

ていた西洋の国は少なかったとしても、日本の指導者たちは植民地主義国の

侵略を恐れていたのです。そしてキリスト教はその植民地主義国の精神的支

柱だったのです。たとえ慈愛に溢れた宣教師たちでさえ、人種的また文化的

優越感をもって、日本人とその文化に対して理解を示さず、高圧的で批判的

で破壊的だったのです。彼らは福音を宣教するのと同じくらい熱心に、日本

の文化を「キリスト教化」しようとしたのですが、彼らがキリスト教文化と

考えたのは決してキリスト教文化ではなく、キリスト教文化だと思い込んで

いた自分たちの文化に過ぎませんでした。




  日本は終戦にいたる350年ほどにわたって、国家として徹底した反キリ

スト教政策を採ってきたのです。徳川時代は過酷な迫害と仏教を利用した相

互監視システム、すなわち「和」の監視システムをもって、キリスト教の侵

入を阻止しました。明治以降は、表面的には信教の自由を認めておきなが、

国家神道の高揚をもって和魂洋才を旗印に、キリスト教の進展を妨げてきま

した。これに対しキリスト教宣教師たちは、自分たち個人の献身と良心をも

って働いたのですが、日本人の中に沁みこんだ、キリスト教に対する疑いと

恐れを取り除くことが出来なかったばかりか、かえってその人種的優越感と

文化的優越感あるいは徹底した個人主義的感覚で、日本人の疑いをさらに深

め、恐れを強化して来たのです。




  こうしてみると、日本人が躓き、疑い、恐れ、嫌ってきたキリスト教と

は、実は聖書が教えるキリストの教えではなく、混ざり物入りのキリスト教

であったことがわかります。植民地主義と手を組んだキリスト教。人種的優

越感と溶け合ったキリスト教。文化的優越感に染まったキリスト教。個人主

義の衣をまとったキリスト教等々です。多くの場合、日本人は福音そのもの

に接触する前に、キリスト教と交じり合った文化、あるいはキリスト教を包

み込んだ文化に躓いてしまっているのです。残念ながら、現在でさえこの傾

向は強く残っています。日本が敗戦後驚異の成長を見せていたとき、アメリ

カの民主主義に学びアメリカを理想的な国として見ていたとき、キリスト教

は「アメリカの宗教」として、ある程度一般の日本人の中に受け容れられて

いました。今から35年程前には、36%の日本人が、宗教を選ぶならキリスト

教といっていたのです。




  ところが日本が世界の中でもトップの力をつけ、いろいろな面で自信を

持てるようになると、アメリカを理想の国と見る人は少なくなり、キリスト

教を高く評価する人も少なくなっているのです。最近の調査によると、選ぶ

ならばキリスト教と答えた日本人は25%ほどに減っています。それでも、25

%もあるのです。ところが実際のクリスチャン人口は、25%の100分の1に

も満たないのが現状です。理由は、「キリスト教は悪くはない。実際良いと

ころがたくさんある。しかし今、自分にそれは必要ない」からです。また、

「クリスチャンになると、周囲の人たちと穏やかに過ごすことが出来なくな

る」からです。「うそをつかない。酒も飲まない。喧嘩もしない。離婚もあ

まりしない。いつでも親切で頑張り強いクリスチャンは、とてもすばらしい

けれど、周囲の人々に迷惑をかけながら生きている」からです。そして大概

の日本人は、「自分にはとてもそこまで頑張れないし、周囲の人々に迷惑を

かけてまでクリスチャンになる必要はない」と、感じているのです。


 
 ☆       ☆        ☆        ☆


  では私たちは、この日本でどのような宣教を心がけるべきでしょう。こ

れまで日本人が躓き続けて来たのは、福音そのものではなく、文化と一緒に

なったキリスト教であることを理解するならば、私たちのとるべき方策はた

だひとつ、文化とかかわりのない福音を伝えることです。文化とかかわりの

ない福音とは、まず、西欧文化の衣を剥がした福音、西欧文化の異物を濾過

した福音、文化から峻別された福音です。西欧の文化と福音は長い間混同さ

れてきました。それを識別して切り離すのは容易ではありません。すっかり

癒着してしまっているため、そちらを傷つけこちらを痛める手術になること

でしょう。しかし私たちは、聖書に戻り聖書に聞くという困難な作業を、根

気強くくり返し、繰り返し続けて行くべきです。




  具体的な、しかも簡単な例に「嘘」の問題があります。欧米宣教師、特

にアメリカ人宣教師は「嘘」を嫌います。それは聖書に反するといいます。

罪であるといいます。ところが日本人はある意味で「嘘」の文化に生きてい

るのです。日本人は「嘘」に独特の価値を認め大切にしているために、すべ

ての嘘を罪と決め付けるキリスト教と相容れないことになってしまいます。

肝心なことは、本当に聖書は「嘘」を罪として断罪しているかどうかです。

神様も「嘘」をおっしゃってはいないでしょうか。キリストは「嘘」を言わ

なかったでしょうか。聖書の中の立派な人々は「嘘」を言っていないでしょ

うか。「嘘」を言ったがために神様に祝福された人の話は、聖書に記されて

いないでしょうか。「嘘」が正当化されている話は、聖書に載っていないで

しょうか。


 

  もちろん、「嘘」の定義にもよりますが、聖書の中には結構たくさん

「嘘」が用いられた話が載っているのです。日本人が「嘘も方便」とうそぶ

くほどではありませんが、「嘘」は間違いなく記載されています。普通の欧

米宣教師にとって「嘘」とは「事実に反したことを言う」ことです。ばかば

かしいことですが、彼らの多くは口に出して言いさえしなければ「嘘」」に

ならないと考えています。日本人の多くは口に出さない「嘘」もあると考え

ています。あるいは事実に反したことを言うのが「嘘」ではなく、真実に反

したことを言ったり行ったりするのを「嘘」だと考えています。ほとんどの

西欧人にとって、事実と真実は同じですが、多くの日本人にとっては、事実

と真実は別の事柄です。事実とは事象についての事柄であり、真実とは人間

の心の問題であり、人間関係に関わることであると考えています。事実は母

親が癌に侵されています。真実は母親に癌だと告げず、最後まで胃潰瘍だと

いい続けることです。この違いは、事実を大切にして生きる移動性の激しい

生活を営んできた西欧人と、非常に定着性の強い生活を営んできた日本人の

違いです。そして西欧人は自分たちの生活を聖書から正当化したのです。確

かに聖書は「偽りを言ってはならない」と戒めているからです。でも、その

聖書の言葉の理解が正確ではなく、その適用が正しくない可能性が強いので

す。




  日本人が「嘘も方便」と軽々しく嘘をつくのは感心できませんが、西洋

的な「嘘」と「真実」の峻別もまた、聖書の教えではありません。人間の世

界に白黒はなく、濃い灰色と薄い灰色があるだけです。それを、白と黒、善

と悪、嘘と真実という風に峻別するのは正しくありません。神と悪魔の間に

ある白黒を、人間の世界に持ち込んではならないのです。先に述べたように、

実に多くの日本人がこの「白黒善悪」の文化の違いに躓いて、キリスト教に

躓いたと考えているのです。ところが、彼らがつまずいたのはあくまでも文

化であり、聖書の教えではありません。私たちは人間社会における嘘と真実、

善と悪、白と黒を峻別するかわりに、福音と文化を峻別するべきです。
 


  西欧の宣教師たちの中にはまじめに宣教学を学び、文化と福音という問

題についても、基礎的な学びをして来るものたちが増えているのは事実で

す。とはいえ、それは数の上で少ないうえ、学んだ人々の中でも。本当に

それを理解し実際の働きの中で生かすことが出来る人は、ごくわずかです。

かえって学んだということに満足して、生かしきれていない人が目に付きま

す。一言で言うと、西欧宣教師が変わることはあまり期待できないでしょ

う。だとすると、私たち日本人伝道者が変わり、日本のクリスチャンが変わ

る他に手がありません。とはいえ、これも大変難しいことでしょう。少なく

ても、このような拙文を読んだからといって、それで変わる日本人伝道者が

いるとはとても思えません。それでも、言い続け、書き続けなければならな

いと感じているのです。



 ☆       ☆       ☆        ☆


  福音と文化を峻別するとは、異文化の中で育ったキリスト教という苗を

移植しようとするのではなく、福音という種をまくことです。ある特定の土

地や気候の性質に対する対応を身につけてしまった「苗」ではなく、まだど

のような土地への対応もしていない「種」を植えるのです。聖書の教えその

もの、聖書のキリストその方を伝えることです。ひとたび、ある特定の土壌

で発芽し育った苗を、ほかの気候の異なった土壌に移植するのは困難だから

です。表現を変えてみましょう。てんぷらにされた海老を差し上げるのでは

なく、海老そのもの、まだ料理されていない海老を差し上げるのです。てん

ぷらにした海老を初めてのひとに差し上げると、衣が海老だと思ってしまう

からです。衣が嫌いだと、中の海老まで捨ててしまいます。今必要なことは、

キリスト教という西欧の海老のてんぷらから、衣を剥ぎ取ることです。





  ひとつの文化の中で育った者が、ほかの文化、ほかの考え方、ほかの見

方、他の感じ方があるなどと想像するのは、なかなか大変なことです。自分

の考え方や見方が、ずっと、周囲のみんなの見方や考え方と同じだったので

すから、それ以外のものがあることには思いも及びません。日本という閉ざ

された環境に育つと、日本的な考えが常識となり、それが正しいと思い込ん

でしまいます。アメリカという環境で育つと、アメリカ的価値観が唯一のも

のだと早合点してしまいます。すべてのひとは、そういうわけで、多かれ少

なかれ自分の文化という先入観で聖書を読み、その色眼鏡で聖書を理解しま

す。ですから、たとえ同じ聖書を読んでも、受け取るところ、感じるところ、

理解するところ、共感するところが違います。アメリカ人はアメリカ人らし

い聖書の読み方をし、ほかのアメリカ人たちも自分と同じように読んでいる

ことを知って安心し、自分たちは正しいと思い込みます。ですからアメリカ

人たちは、個人主義の感覚で聖書を読み、個人主義に都合よく当てはまると

ころに感動し、個人主義を擁護していると思われるところを強調することに

よって、さらに個人主義を強固にし、個人主義こそ聖書の教えだと感じてし

まいます。




  しかし、日本人たちは、少なくてもアメリカ的な教育を受けていない日

本人は、彼らとは異なった読み方をし、異なった理解をします。彼らよりも、

家だとか先祖だとか、親戚、あるいは地域共同体というものを大切にした読

み方をします。ところが西欧的な指導を受け、西欧的著書によって育てられ

た日本人牧師たちは、そのような日本人的な読み方、あるいは感じ方が誤っ

ているのではないかと恐れてしまいます。




  クリスチャンになりかけていた日本の女性が、聖書を読んで筆者に言い

ました。「幽霊とか亡霊って本当にいるんですね。聖書にも書かれているの

で、やっぱりと思いました」 確かに弟子たちは、波の上を歩くイエス様を

みて幽霊だと思いこみ、恐怖のあまり悲鳴を上げました。(マタイ14:22〜

33、マルコ6:45〜52) 甦りのイエス様は、湖のほとりで、ご自分が幽霊

ではないとおっしゃって、幽霊には肉や骨はないと説明されました。(ルカ

24:36〜43) 翻訳によっては、この箇所は単に「霊」と訳されていたり、

「亡霊」と訳されていたりします) 普通の日本人が普通の感覚で聖書を読ん

で、「ヘー。幽霊っているんだ」と思っても、不思議ではありません。聖書

を素直に受け容れるように教えられていながら、幽霊を信じないのは、西欧

的啓蒙主義の感覚をもって聖書を読むためです。




  弟子たちが幽霊を恐れていたことは事実なのです。イエス様も、幽霊の

実在を前提としたような話し方をしておられます。聖書を単純に受け取ると、

幽霊は存在することになります。だとすると、現在の私たちが幽霊の存在を

信じていても、別段、私たちのクリスチャン信仰の妨げになるわけではない

ことがわかります。もちろん、そのようなものは存在しないのだけれど、弟

子たちはまだ一般的な迷信に捕らえられていたので、イエス様もあえてそれ

を否定しないで話をお進めになったのだと、合理主義的に理解することも可

能です。もちろん、果たして聖書でいう幽霊が、一般的な日本人感覚で信じ

ている幽霊と同じであるかどうかは別の問題です。足のない幽霊は、丸山応

挙の絵から始まったといわれていますので、それ以前の幽霊は足があると思

われていたのでしょう。イギリスは幽霊の多い国として有名ですが、足はあ

るそうです。フィリピンには自分の生首を両手に抱えて飛び歩く、アスワン

という有名な幽霊がいます。聖書の教え全体からすると、悪霊どもが、人々

の恐れに乗じて幽霊なるものに成りすましていることは充分にあり得ます。

つまり、幽霊は単なる想像上の産物ではなく、想像と絡まって実在するもの

と考えてもいいわけです。




  旧約聖書には、サウル王が霊媒師に頼んでサムエルを呼び出してもらっ

たという、有名な話が記されています。(Tサムエル28:1〜25) 多くの

啓蒙的聖書注解者が、これは事実ではないとあの手この手で説明しようとし

ていますが、事実と受け取るのが自然です。だとすると、これも不思議な出

来事です。合理的に聖書を読む人々には信じられない出来事かもしれません

が、合理的でないところもたくさん持ち合わせている日本人的感覚、あるい

はアジア人的感覚では、この物語は意外にスーッと入ってくるものです。当

時のイスラエルでは、このような霊媒が律法で禁止されなければならなかっ

たほど、また、王自身が命令を出して、霊媒師たちを国外追放にしなければ

ならなかったほど、広く行われていていたことにも注意をすべきです。聖書

はこの霊媒師の仕業を単なるごまかしとして取り扱っておらず、むしろ何ら

かの現実的能力として扱っていることにも気づくべきです。




  私たち日本で宣教を試みるものは、たぶん日本だけに限らず、ほとんど

どこの世界でも共通だとは思いますが、もっと、アニミズムの概念と信仰に

ついての理解というか、洞察を身に着けるべきだと考えます。簡単にいうと、

いちいち、一所懸命になって幽霊の存在を否定する必要はないということで

す。大切なのは、そのようなものを恐れず、主に信頼し、ただ主だけを恐れ

るべきだと教えることです。幽霊を信じている日本人には、幽霊を信じたま

まクリスチャンになってもらい、幽霊を信じていない日本人には幽霊を信じ

ていないままで、クリスチャンになってもらえばいいことです。幽霊を信じ

ない欧米の神学を、聖書の教えと考える必要はないのです。そのような、欧

米合理主義のキリスト教ではなく、聖書の教えを伝えることが大切です。




  また生と死の間に厳密な境界線をつける啓蒙的な考え方が、必ずしも聖

書の考え方と一致しないことにも気づくべきです。多くのアジア諸国でもそ

うであるように、日本でも生と死は完全に隔離された世界ではなく、何らか

の境はあるけれども、隣り合わせの世界で、何かの弾みで行き来も交流も可

能なのです。聖書の記述も、どちらかというと、完全な境界線を付ける啓蒙

的な考え方よりは、何かの拍子に行き来をしたり、交流をしたりすることも

できる、曖昧な境界線に近いのです。(良く知られたラザロと金持ちの話で、

キリストが大きな淵があって行き来できないと語られたのは、死者のいると

ころが二つに分かれていて、その間を行き来することができないということ

です) ただ、その曖昧さに乗じて行う、霊媒やまじない、あるいは口寄せ

のたぐいを、聖書は厳しく禁じているという事実ははっきりしています。




  ところで、ここで警告をしておかなければならないことがあります。そ

れは、この幽霊や生と死の境界線の場合のように、よくわからない事柄、聖

書でもはっきりとは教えていない事柄を、自分たちの文化や習慣を背景にし

た感覚で勝手に拡大解釈をして、信仰と生活の重要な位置に置いてはならな

いということです。アニミズムの感覚を持った人たちの間では、幽霊話がつ

きず、占いや降霊術、あるいはお払いや鎮魂が常時行われています。だから

といって、それに対応して幽霊だの亡霊だの、彷徨っている先祖の霊だの、

地域霊だのと言い出して、聖書が記述しておらず、語ってもいない事柄に入

り込み、勝手にそれらの霊に力を認めたり、恐れたり、あるいはそれらの追

い出しの教えを作り出したりして、教会活動の中に持ち込むのは間違ってい

るのです。確かにこの問題は単なる科学や物理の世界、つまり、聖書が取り

扱っていない分野に関するものではなく、聖書の守備範囲である霊的な事柄

に属します。それでいながら聖書はこの問題について、明確には教えていな

いのです。明確に教えていないのですから、私たちはそれについて明確に知

る必要はないのです。そのようなことがらを教会の活動の一部としてはなら

ないということです。大切なのは、そのような霊や力を恐れる必要はないと

いうことです。なぜなら私たちは、聖霊なる神に内に住んでいただき、わた

したちの外にいるあらゆる悪しき者の攻撃から、守られているからです。




  そういうわけで、聖書の教えと文化とを峻別するということには、二つ

の重要な側面があることがわかります。まず、聖書の教えを特定の文化や生

活習慣に適用した「文化的教え」を見直して、いったん、適用前の聖書の教

えに戻すという作業です。つぎに、聖書を読むときに、自分の文化や生活習

慣という色眼鏡をはずして聖書を読むということです。日本人は、聖書の教

えそのものに到達する前に、聖書の教えが適用された西欧の文化や習慣に躓

き続けてきたのです。



 ☆        ☆         ☆         ☆


  自分の文化的先入観を捨てて聖書を読むことに加えて、もうひとつ、知

っておかなければならない大切なことがあります。それは、聖書そのものが

文化的な拘束を受けている、あるいは文化の制約を受けている、「不完全な」

書物であるということです。聖書は、「神の霊感を受けた誤りのない書物で

ある」という意味においては完全なのですが、神のみ心を完全に表明した書

物ではないという意味においては、「不完全」なのです。なぜなら聖書は、

ヘブル語とギリシャ語という、不完全な人間の不完全な言葉の表現能力の範

囲でしか、完全な神を表現できないからです。無限の神のみ心とご計画を充

分に表現出来るほど、人間の言語は大きくないのです。言語は思いを運ぶ舟

にたとえられますが、小さな笹舟が、どうして100トンもの金塊を運ぶこと

が出来るでしょう。神のみ心は100トンの金塊より遥かに大きく、私たちの

言葉は笹舟よりさらに小さいのです。したがって、聖書に記されている神の

み心の表現は、神の妥協の産物なのです。(笹舟=一枚の笹の葉で作るおも

ちゃの舟)




  さらに、言語というものはその言語を用いる人々の文化に制約されてい

ます。その文化が持ち合わせていないものを、言語は表現しないのです。神

はひとつの文化に制約されていない方ですが、聖書にご自分の思いや考え、

あるいはご自分そのものを表現されたとき、必然的に、聖書の文化の中の表

現でご自分を現してくださったのです。聖書の学者たちが言語の意味を厳密

に調べることは間違っていません。しかし、神のみ心はその言語の持つ意味

を超えているのです。したがって、大変難しい事ですが、聖書を読むとき私

たちは、ヘブル文化やギリシャ文化の中で表現されていながら、ヘブル文化

とギリシャ文化を超えた普遍的な教えを、その中から発見していかなければ

ならないのです。たとえば、「神は愛である」と教えられていますが、神の

愛はギリシャ語の「アガペー」という言葉で表現できる以上の、愛の方であ

り、明治時代に作られた日本語の「愛」よりも大きい方です。また、ギリシ

ャ語のアガペーにも、日本語の愛にも、神様の本来のみ姿にふさわしくない

ものさえ、含まれている可能性が大きいのです。




  神はご自分を現してしてくださるとき、基本的に、言葉という表現方法

をとられましたが、この言葉は必然的に時と場所に制約された文化に閉じ込

められているわけです。そこで、いまその「神の言葉」を読む私たちは、時

と場所に制約された文化的言語の表現から、神を解き放って理解しようとし

なければならないのです。




  筆者が宣教師として働いていたとき、宣教の対象としていた民族には

「ありがとう」という言葉がありませんでした。すでに周囲の民族の「あり

がとう」という言葉を借りて使ってはいましたが、奥地に住む恥ずかしがり

屋の人々には、他民族の言語で、日本人に「ありがとう」というほどの勇気

がありませんでした。そこで筆者は、彼らのありがとうという表現を汲み取

る作業をしなければなりませんでした。彼ら同士ならば、自然に心を通じ合

えたのでしょう。でも、日本人にはどのように表現したらよいか、彼らは迷

っていたに違いありません。身をよじらせて、恥ずかしそうに、もの言いた

げな表情をうかべる彼らに、単なる「ありがとう」の一言より、ずっと重い

ものを感じたのです。ヘブル語にもギリシャ語にも、神のみ心を余すことな

く伝える能力は備わっていなかったのです。ですから、神の普遍的愛と普遍

的救いの道を表す聖書は、ヘブル語とギリシャ語の文化の制限内でしか表現

できていないのです。




   もうひとつ、かなり卑近な例で説明してみましょう。荒野で40年間 

生活していたイスラエルには、荒野での文化とでも言うべきものが発生して 

いました。その中で人々は、毎日排泄行為を繰りかえさなければならなかっ

たのですが、その方法についても律法で定められていました。土に穴を掘っ

て排泄をし、その後はきちっと土を被せて埋めておくということです。この

律法は現代生活を営むほとんどの日本人には無意味ですし、適用もできませ

ん。あくまでも、小さな民族の特殊事情に制約されているからです。ただし、

現代でもそのまま適用可能な場所と時があることでしょう。また、その特殊

性の背後にある普遍的な原則は、現代のどこにおいても適用できるものです。




  私たちが読み取らなければならないのは、この普遍的な原則に当たるも

のです。それをきちっと理解した上で、現代の私たちの異なった文化に適用

することが肝心なのです。そのような現代には合わない律法でも無視しては

ならず、そのまま適用してもならず、そこに隠れている原則を見出して、そ

の原則を現代の私たちに適用するのです。そうするならば、多くの場合、現

代の日本文化に敵対していない、またする必要もない、多くの聖書の教えが

見えてくるはずです。六本木の真ん中で、土に穴を掘って排泄行為をしては

ならず、することもできません。しかし、その時代遅れの律法の精神である

清潔、公衆衛生、人に嫌な思いをさせない、迷惑をかけないという基本は今

も通用するものであり、互いに愛し合うという原則は普遍なのです。私たち

が必要とするのは、この精神、基本、原則なのです。



 
まとめ


  日本の宣教は困難を極めています。最大の理由は、日本人がキリスト教

に躓いてきたからです。日本人が躓いたのはキリスト教であって、キリスト

でも、聖書でも、福音でもありません。そこまで到達する前に、「キリスト

教という文化」に躓いたのです。キリスト教は純粋なキリストの教えではな

く、混じり物のはいったキリストの教えでした。純粋な聖書の教えではなく、

混入物がたくさん入れられた聖書の教えでした。純粋な福音ではなく、日本

に到達するまで、途中でいろいろなものをくっ付けて来てしまった福音です。




  もっとも異臭を放ったのは、権力と手を組み、植民地主義の手先になっ

たキリスト教でした。人種的優越感や文化的優越感に色づけられたキリスト

教も問題でした。個人主義の添加物を加えられたキリスト教は、純粋なキリ

スト教と見分けが付かないほどになって、日本人の反感を買いました。日本

人はこれらの異物に躓いてきたのです。ほとんど、福音自体、聖書自体、キ

リストご自身に躓く機会さえ与えなかったのです。そして、宣教師たちも日

本人伝道者たちも、日本人がこのような異物に躓いてきたということに気づ

かずに、いまだに、異物の入ったキリスト教という文化を移植しようと努力

をし続けているのです。歴史も実情もキリスト教に対する受容度もまったく

違う、他国の伝道の成功例、他国の教会の成長例を、いまだに、一所懸命に

なって日本に持ち込もうとしているのです。




  今私たちにできることは、文化と絶縁した福音、文化から隔離された福

音、文化と峻別された福音、すなわち普遍的福音、混じりけのない福音を理

解することです。輸入されたキリスト教から、文化的異物を取り除くことで

す。その上で、その純粋な福音を日本に持ち込むことです。そのとき、私た

ちは純粋な福音の種を日本の文化という土壌に蒔くことになるのです。そし

て、種が自然に育ち、日本文化になじんでいくのを待つのです。




  これらの作業は、具体的には大変複雑で、非常に難しいものとなるでし

ょう。しかし、福音を日本に根付かせるためには、どうしても成し遂げなけ

ればならないことです。自分たちが聞いてきた福音、自分たちが受け容れて

きたキリスト教が、果たして、聖書が教える福音そのものであるかどうか、

聖書が教えているキリストの教えそのものであるかどうか、もう一度しっか

りと見直し、検証し直しましょう。自分たちの聖書の読み方が、自分が聞か

されてきたキリスト教の教えに都合よく合わせた読み方ではないか、自分が

受け容れてきた西欧的福音の色眼鏡を通した読み方ではないか、良く考えな

がら改めて聖書を読んでみましょう。




  さらに、聖書の律法、教え、物語などなどが、ユダヤ文化、グレコ・ロ

ーマン文化に適応された教えではないかと注意をおこたらず、それらの中に

必ずある原則的な教えや律法、すなわち文化を越えた普遍的ものを見出す努

力を重ねましょう。すると必然的に、日本人であるわたしたちは、日本人と

しての感覚、あるいは色眼鏡を通して聖書を読むことになるでしょう。それ

でもいいのです。そのようにして日本人として読んだ読み方と理解を、改め

て西欧的な理解と比較して見るのです。あるいは可能ならば、他のアジア的

な読み方、アフリカ的な読み方、ラテン・アメリカ的な読み方と比較してみ

るのも良いでしょう。そうすることによって、西欧的なキリスト教理解から

解放された、より普遍的な聖書の原則に到達するにちがいありません。その

聖書の原則を、現在の日本文化、日本人の生き方、日本人の必要に当てはめ

るのです。日本の文化の良いところは大いに生かし、伸ばしていくのです。

聖書の教えと合わないものは、ゆっくりと忍耐を持って教えていくのです。

必要なのは、聖書の文化ではなく、聖書の救いです。救いがあって文化が続

くのです。



  古い、古い、なじみ深い話で説明しましょう。酒を飲まずタバコを吸わ

ないピューリタン的キリスト教を輸入し、「酒飲むなタバコ吸うな」と未信

者に説教するキリスト教になるのではなく、キリストの救いを語る者になり

ましょう。救いにあずかった者の恵みによる生き方、聖霊の力により頼んだ

生き方を教え、勧め、励ましましょう。そうすれば、酔っ払いのクリスチャ

ンは少なくなり、ニコチン中毒のクリスチャンも(もしもいるならば)激減

するのです。酒タバコをやめなければクリスチャンになれないのではなく、

クリスチャンになれば、酒もタバコもやめられる可能性が非常に高くなるの

です。「酒タバコ飲まぬ吸わぬの耶蘇教はあぁ面倒な宗旨なり」と揶揄され

ないクリスチャンになりましょう。




  それと同時に、歴史の上で西欧キリスト教が犯し続けてきた、また犯し

続けている数々の罪を、積極的に認めましょう。そして、自分たちがそのよ

うなキリスト教信徒であったことを恥じ、悔い改めましょう。その上で、現

在の自分たちはそのようなキリスト教を拒絶して、聖書の教えるキリストを

信じるクリスチャンになろうとしていることを、自信を持って語っていきま

しょう。わたしたちを救ってくださったのは、キリスト教ではなくキリスト

だからです。そしてそのキリストを証して

                       
                         おわり











posted by MS at 00:00| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月21日

日本の宣教を問う (4)


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☆        ☆         ☆         ☆



  この事について筆者はすでに多くの場で述べていますので、ここでは最

小限度に止めますが、神が徹底して厳しく、ご自分だけを礼拝するようにと

お命じになったのは、他のどの民族でもどの国家でもなく、神の奇跡の救い 

を、絶対に間違えることがないほど明確に体験したイスラエル人に対してで

す。旧約聖書では、この命令は他の誰にも与えられていないのです。「私は

あなたを奴隷の地、エジプトから導きのぼった神である。だから、私だけを

礼拝しなさい」ということなのです。「わたしとあなたは契約を結ぼう、私

はあなたの神となり、あなたは私の民となる」ということです。「私はあな

たの夫となり、あなたは私の妻となった。だからあなたは他の男に目を向け

てはならない」といわれているのです。奴隷から解放された体験も、神と契

約した覚えも、神と婚姻関係に入ったこともない人々、イスラエル人以外の

人々にはこの命令は与えられていないのです。




  ですから、エジプトから解放され律法が与えられる前のイスラエルに対

して、神は度々ご自分を現しておいでになるにも関わらず、イスラエルが真

の神以外の神を拝むことに寛容でした。召し出される前のアブラハムは、真

面目に異教の礼拝を守っていたのでしょう。召し出された後の彼の行動や考

え方には、まだまだ異教の概念が残っていました。イサクのことは良くわか

りませんが、ヤコブのテントにはラケルが父の下から盗み出した偶像をはじ

め、異邦の神々の偶像がたくさんありました。ヤコブがこれらをまとめて破

棄するのは、祖父アブラハムに神様が現れてくださってから、およそ150年

近くも経ってからです。日本にプロテスタントの宣教が始まってから今日年

数と、あまり変わりがありません。ヨセフの結婚相手は、エジプトの異教を

信じていた女性というだけではなく、その祭司の娘です。モーセの結婚相手

もまたミデアンの異教の祭司の娘でした。モーセは律法が与えられた後も妻

の父、すなわち異教の祭司を大切に扱っています。




  律法を与えられる前のイスラエルの、異教とのかかわりに寛容であられ

た神は、律法を与えられていない日本人の偶像とのかかわりに対しても、同

じように寛容であられるはずです。日本人は出エジプトのような体験はして

いませんし、律法も与えられていません。ですから、日本人が偶像礼拝をし

ていても、神はそのことを取り上げて、律法が与えられた後のイスラエル人

が偶像礼拝をしていた時と同じように、日本人に怒りを燃やされるというこ

とはあり得ないのです。神は、決して間違う事も疑う事もできないほどに明

らかに、イスラエル人の前にご自分を現してくださいました。絶対に忘れら

れない出来事を通して、ご自分の救いを見せてくださいました。ですから彼

らが他の神々を礼拝することに対して、非常に厳しく、徹底的に断罪なさる

のです。




  では、日本人クリスチャンに対してはどうでしょうか。日本人は民族と

してあるいは国家として、まだ神の明らかな、見まごうことのないほど明確

な顕現を見てはいませんが、ひとりの個人として、クリスチャンは神の解放

の力を体験しているはずです。そういう意味では日本のクリスチャンも、絶

対に偶像礼拝をしてはならないということになるでしょう。しかし、現在の

日本人の回心の体験の多くは、出エジプトのイスラエルの体験ほど明確なも

のではありません。ほとんどの場合は、長い期間をかけての段階的というか、

少しずつというか、本人さえも、いつ本当の意味でクリスチャンになったの

かわからないような体験なのです。クリスチャンになろうと決心しては後戻

りをし、また決心をするということを何回もくり返した人も少なくありませ

ん。そのような段階にいる「クリスチャン」に、あの出エジプト記のイスラ

エルの体験を、そのまま当てはめるには無理があると思われます。本当に明

確なクリスチャンとしての自覚が生じた時点からは、偶像礼拝に対して徹底

した態度を持つように指導されるべきです。




  とはいえ、現在の日本の宗教環境の中で偶像礼拝をしないということと、

旧約時代のイスラエルの環境の中で偶像礼拝をしないというのには、大きな

違いがあります。イスラエルでは、たとえ偶像礼拝がはびこっていたとはい

え、まことの神を礼拝するのが国是であり、まことの神を礼拝することが迫

害を呼ぶことだったり、差別をされたり、社会的に不利な状況に陥れられる

ということは、あまりありませんでした。一応、民主主義が基本的概念とし

て浸透し、信教の自由もかなりの程度で理解されている現在の日本でも、ク

リスチャンになったからといって、表立った迫害を受けたり差別をされたり

することは少なくなりました。日本のクリスチャンがいま遭遇する社会的圧

迫の多くは、日本的「和」になじまなくなってしまったクリスチャンに対す

る、周囲の苛立ちです。ですから、クリスチャン本人が迫害のために苦しむ

というのは、比較的少なくなっています。ところが、周囲の苛立ちをものと

もしないで信仰生活を貫くように教えられているクリスチャンたちは、先に

もいいましたように、「俺たちは絶対にクリスチャンにはならないぞ」と決

心するもの、あるいは「俺たちの周りからはもうクリスチャンを出さないぞ」

と考える、たくさんの人たちを作り出しているのです。




  現在の日本の状況は、むしろ、バビロン捕囚中のイスラエルに似ている

といえます。国はほかの宗教を奉じている人々によって治められていました。

国家の行事のほとんどは、異教の神々の名で行われていました。偶像を礼拝

している人々が周りを取り囲んでいました。日常のあらゆるこまごました事

柄にまで、異教の習慣がしみこんでいました。そのようなところで唯一の創

造者を礼拝するというのは、やさしいことではなかったはずです。大切なこ

とは、このような環境の中で、イスラエルの人々があまり悶着を起こさない

で、自分たちの生活をしていたということです。それはかなり柔軟に周囲の

人々と共に生きていたということです。もしも彼らが、現在の私たちほどか

たくなな態度で唯一の神に対する信仰を守ろうとしていたら、ダニエル書や

エステル記に記されているより、もっとたくさんの問題に、日常的に遭遇し

ながら生きることになったことでしょう。




  この時代、捕囚のイスラエル人は大変な宗教的変革の中に置かれました。

まず、そのときまでは国家全体として当然のように守っていた安息日を、な

かなか守ることができなくなったことです。次に、神殿が存在しなくなり、

神殿礼拝ができなくなったことです。そのような困難の中でイスラエルの人

々は、安息日を大切にしながらも、それに捕らわれない信仰を獲得して行か

なければなりませんでした。また神殿礼拝に変わる礼拝形式と、宗教教育の

制度を作り上げていきました。キリストの時代に一般的であった会堂とそれ

にかかわる組織と活動は、たぶんこの時代に、神殿礼拝に代わるものとして

発展したのだと考えられています。イスラエルが唯一神礼拝を自分たちの国

教としていたときには、外国や周辺の民族からあらゆる宗教を持ち込んで堕

落をくり返しましたが、捕囚となり、宗教的活動も制約される中で、かえっ

てしっかりとした唯一神信仰を持つにいたるのです。




  そのような「宗教的自由主義」が広がっていくところには、必ず行き過

ぎがありました。周囲の人々と悶着を起こさないで生活をしていくことに気

を使うあまり、正しい神礼拝をおろそかにするものたちも現れたことでしょ

う。そのような環境にあって、シャデラク、メシャク、アベデネゴの偶像礼

拝拒否やダニエルの徹底した信仰態度は、行き過ぎた妥協への警鐘とも、正

しい神信仰への励ましともなったことでしょう。とはいえ、ダニエルにして

も3人の青年にしても、自分の信仰として徹底していたのであり、他者の社

会生活をさまたげるような形で、自分たちの信仰生活を保守しようとしたの

ではありません。もしもそのような信仰態度をとっていたならば、あのよう

な高い位について王に仕えることはできなかったはずだからです。ですから、

ダニエル書から学ぶのは、徹底した非妥協的な信仰態度だけではなく、原則

的なことに対しては絶対に妥協しない信仰を守りながら、社会生活において

は他者の生活を妨げない、あるいは乱さない柔軟な対応をするということで

す。




  イスラエルの歴史を見るならば、ダニエルの物語の後にはエズラやネヘ

ミヤが続きます。このとき、この厳しい指導者たちに率いられ、イスラエル

は、失われていた神殿礼拝を取り戻したことを始め、かなりの宗教改革を経

験しました。それによって、自由主義に流れていきそうな風潮が改められ、

会堂における宗教活動のような有益なものが残される事になりました。ただ

しその反面、このころの厳しい宗教運動がまた、あまり歓迎できない律法主

義に道を備えることになったと考えられます。





☆       ☆        ☆         ☆


  日本のクリスチャン人口の少なさからいうと、もうひとつ参考になるの

は、シリヤの将軍ナアマンの例です。彼はエリシャの言葉に従い、ヨルダン

川に身を沈めて癒されると、イスラエルの神だけを礼拝すると決意しますが、

自国に帰ると王に次ぐ位にいるものとして、王と共に彼らの祭壇に出て、彼

神を礼拝しなければなりませんでした。それをしないということが果たして

どのようなことを意味していたのか、今の私たちに正確なことは言えません

が、その高い位にいながら、今までやってきた習慣を破って、王と共に礼拝

することを拒絶すると、単に、ナアマン個人の信仰にかかわることではすま

なくなり、多くの人々を巻き込む、国家的混乱とさえなりえたのでしょう。

それでナアマンはエリシャに願い出て、王と共に身をかがめること、すなわ

ち、外面上だけは、王と共に礼拝しているように振舞うことを許してもらう

のです。エリシャは非常に厳しい信仰態度を持った人物ですが、ナアマンの

願いを聞き入れています。ナアマンの行動は単なる保身からのものではなか

ったはずです。偶像礼拝を敵視する宣教師や、彼らに影響を受けている牧師

たちは、このナアマンの物語にいろいろな解釈を持ち込んで、エリシャは許

したのではないと言おうとしていますが、やはり、エリシャは許したと考え

るのがもっとも無理のない読み方です。




  自分の信仰態度をしっかりさせるということと、周囲の人々の生活に混

乱を与えるあるいは和を乱すということとは、別だということを知らなけれ

ばならないのです。周囲の人々が偶像礼拝をしていても、偶像の名で行事を

行っていても、偶像を奉るお祭りをやっていても、それを責めることは私た

ちの仕事ではありません。私たちが出来るだけそのようなことに関わらなく

するのは、それなりに良いことでしょう。しかし、いつも関わらないで済む

ものではありません。寄付金もあれば、掃除もあります。それらを拒絶する

ことが、周囲との和を乱すならば、寄付をし、掃除をしたほうが良いのです。

偶像の罪に金は出さないと粋がっても始まりません。私たちは偶像に限らず、

毎日、多くの罪に対して金を出し、労力を使っているのです。資本主義経済

という、欲望を正当化し、他人の苦しみを省みなくても良い機構の中で、私

たちは生きています。マモンという「神」を礼拝し続けている人々と、平気

で平和に暮らしているだけではなく、その大きな影響のもとで生きているの

です。道端の小さな祠で頭を下げている老婆をみて、偶像礼拝者とさげすむ

よりは、りっぱな講壇から繁栄の福音を語る伝道者の中にある、マモン礼拝

を責めるべきです。



  そういうわけで、私たちは、せめて厳しい神様が寛容であられるほどに、

異教文化に対して寛容でありたいと思います。偶像礼拝禁止の律法は、イス

ラエル民族に与えられたという事実をしっかりと認めておきたいと思います。

律法を与えられていない人々が偶像礼拝をしても、罪ではないと言っている

のではありません。それは罪です。絶対に贖われなければならない罪です。

しかしそれは、イスラエル民族が偶像礼拝をした時に神がお怒りなるような

意味で、神がお怒りになる罪ではありません。救われていないすべての人々

が罪を犯し続け、神の哀れみの対象であるのと同じように、神の哀れみの下

にある罪なのです。私たちにとって大切なことは、偶像礼拝は罪であると責

め立てることではなく、福音を語ることです。特に日本人は曖昧な神意識し

か持っていません。むしろ、パウロがアテネで語ったように、あなた方が知

らないで礼拝している方をお教えしましょうと、神の本当の姿を伝えること

なのです。



  日本人の神意識は曖昧ですが、曖昧なところが良いともいえます。ある

意味で日本人は、聖書が教える「ある」とおっしゃる神に、非常に近い神観

念を持っているとさえいえるのです。少なくても共通点があるのです。敵対

して戦うよりは、共通点に立って理解しあうほうがいいのです。日本人はよ

く多神教であるとか、汎神論的であるとか言われますが、実は、そのような

多くの神々を礼拝しているようでありながら、奥深く気高く大きな、すべて

の神々の名の背後においでになる、ひとりの神を拝んでいる感覚が強いので

す。それぞれの神社にはそれぞれの神々が祀ってあり、それぞれのいわれや

名前があります。しかし日本人はそのようなたくさんの神社にお参りに行っ

ても、それぞれの神々の名を呼んだり、それぞれの神々に思いをはせたりは

しません。どこの神社に行ってもまったく同じ気持ちで、あたかも神は一人

しかいないような心で、そのような前提で礼拝し、お祈りをします。さらに

日本人はあらゆる自然物の中に、あるときは人造物の中にさえ何らかの神、

あるいは霊的なものを認めます。これも、すべての被造物の中に創造者であ

る神の性質と栄光が宿っている、あるいは反映していると考える聖書的な考

え方に非常に近いものです。わずかの間違い、あるいはねじれを直すならば、

かなり正しい神観念に到達するのです。




  実は、日本人の神意識の曖昧さは、以前から日本の宣教の妨げとなって

きたといわれているのですが、確かにそのとおりであるといわざるを得ませ

ん。「神」とは本来の日本語の「カミ」に漢字の「神」をあてたもので、本

来の日本語の「カミ」はたんに「上」という意味しか持っていなかったと言

われています。ですから、「カワカミ」は川の上のほう、「サツマノカミ」

は薩摩の人々の上に立つ人、「カミノケ」は上にある毛で、違う漢字が当て

られただけです。したがって日本では、少しでも優れた能力があるものは、

「カミ」、すなわち「上」と認められるわけです。韓国語の「神様」に当た

る言葉「ハナニム」は、最初の、あるいは一番のという意味があり、日本の

神のような曖昧さをあまり残さないといわれます。




  しかし、もしも私たちが日本の神の曖昧さを利用して、接触点にして伝

道するならば、つまり、敵視せずに伝道するならば、かえってその欠点が利

点となるのではないでしょうか。元来日本では、たくさんの神々を、特定せ

ずに、おおらかに受け容れてきました。キリスト教の神も、キリスト教側が

攻撃的態度を見せなければ、受け容れられるのです。(これは筆者の想像で

はなく、伊勢神宮の偉い宮司さんもそのように明言しています) 少なくて

も毛嫌いされて排斥されることはないのです。そしてまた、これは特筆すべ

きことですが、本来の神道には偶像といわれる物質的な「像」は存在しない

のです。「なにものがおわしますかは知らねども」で、人間には知りようが

ない、奥深く、高く、尊いかたがいらっしゃるという感覚があるだけなので

す。それを無理に具体的に表現しようとすると、いろいろな儀式になったり、

仏教を借りた偶像にまで堕落したりしてしまうのです。私たちは、人間には

知りようも、表現の仕様もない、本来の日本の神道的神を、天地創造の唯一

のお方にもっとも近い神観念として理解し、これを足がかりに伝道すること

は出来ないでしょうか。




  旧約聖書の厳しい神が要求されたのは、唯一の神を認め、つまりほかの

神々の存在を否定し、唯一の神だけを礼拝しなさいということではありませ

ん。祀られているたくさんの神々の中から私を選びなさいということです。

それでも良かったのです。唯一の神ということは、天地創造の物語でこれ以

上明らかに出来ないほどはっきりしています。しかし、神が求められたのは、

唯一の神という神学あるいは概念をしっかり持つことではなく、ご自分にだ

け仕えるということです。私たち現代のプロテスタント・クリスチャンにと

って、神が唯一絶対であることは、何にもまして大切な真理であり、これは

絶対にゆるがせに出来ない信仰の基本です。しかし、神様がお求めになった

のはそのような神学的理解ではなく、具体的に、神様だけを礼拝するという

ことです。キリスト教はその宣教過程で、唯一絶対の神の理解と、その神だ

けを礼拝するという観念的側面を強調しすぎ、「自分を救ってくださった神

だけを礼拝する」という、具体的側面を忘れているのではないでしょうか。

まだ、「救って下さっていない」、あるいは、「いるかいないかわからない

唯一絶対の神」を、観念的に受け容れさせることに熱心で、神に救ってもら

う、まず神を体験させるということに疎いのではないでしょうか。




  言い換えれば、日本人が八百万の神々の存在とその力(もしあるならば)

を信じたままでも、いいのです。日本の神々を否定する必要もないのです。

自分を助けてくださった神、すなわち天地をお造りになった方だけに忠誠を

尽くしてお仕えすれば、それでいいのです。そうして、自分の周囲にいる八

百万の神々を信じている人たちを嫌うことも、憎むことも、さげすむことも、

避けることもありません。彼らは神の力、神の紛うことなき顕現を体験して

いないのですから、体験できるように優しく勧め、語って行ったらそれでい

いのです。私たちの神は哀れみに満ちた方で、罪びとが救われるためにあら

ゆる準備を整えて、罪びとがご自分に助けを求めて呼びかけることを待って

おられるのです。




  私たちの神は、神学的知識や神学的受容と関係なく、人間を救って下さ

る方です。「天地創造の唯一絶対の神。全知全能で絶対の聖と絶対の愛を併

せ持ち、その聖と愛を共に満足させるために、み子キリストによる贖いを成

し遂げてくださった神。み子を信じ受け容れるものは、誰でも救ってくださ

る神」というような、基本的神学を理解できない人、あるいは受け容れるこ

とも出来ない人は、救ってくださらないという神ではありません。かえって、

そのような神学を理解することも出来ない人が、理解できないままで救われ

るように、すべての準備を整えてくださった神です。





  それは、私たちの宣教が神学的理解と同意を求める「宣教」から、聖霊

の力による具体的助け、具体的問題からの救いを体験させる「宣教」に、変

わらなければならないということでもあります。パウロはあらゆる福音の知

識に満ちた人間でした。しかし彼の宣教も、聖霊の力の現れによるものでし

た。その力を体験した人々が、神を受け容れ、あらゆる真理の深みに至る学

びをするようになったのです。プロテスタントの福音の中心は、「信仰によ

る救い」ですが、むしろ「知識による救い」が強調されてきたように感じる

ものです。そのために、日本の八百万の神々の概念と反発しあう信仰となっ

たのです。そのために、自分以外の人々の偶像礼拝とまで、戦わなければな

らない信仰になったのです。




 ☆        ☆         ☆          ☆


  私たちはいま、カトリックの信仰を昔のように敵視してはいません。小

異を捨てて大同に付くというか、カトリックとも仲良くしていこうという傾

向です。それはそれでよいところがたくさんあります。筆者も、カトリック

の神父と仲良くしています。しかし日本の神道は、カトリック教ほど堕落は

していないとも言えます。神道は反キリスト教政策に利用されたために、キ

リスト教と相容れないところが多いと思われがちですが、カトリック教ほど

ひどくはないのです。偶像問題ひとつを取り上げても、カトリックには偶像

が満ち溢れています。マリヤの偶像、キリストの偶像、聖徒たちの偶像、天

使たちの偶像、その他の偶像がいたるところにあります。カトリックの神学

者たちがどれほど言い訳しても、それは間違いなく偶像です。信徒たちはそ

れらに向かって祈り、敬意を払っています。それらは単なる象徴に過ぎない

というならば、仏像もすべて、見えない真理を見えるように表現した象徴に

過ぎないのです。神道にはもともとそのような偶像はありませんでした。神

道は聖書なしにここまで来ました。カトリック教は聖書を持っていながら、

聖書を隠し、燃やし、聖書に反することをしてきたのです。




  地上におけるキリストの代理者である法王。キリストの祭司の務めを奪

っている司祭たちの務め。行いと教会の権威に依存する救い。さらには再臨

以外のすべてのキリストのお働きを共に担うマリやの勤め。(マリヤは再臨

以外のあらゆる働きで、キリストと共に働くことになっています。ですから

当然、マリヤは罪なくして生まれたことになっていますし、昇天もしていま

す) これらのものはことごとく、聖書の教えに相反するものか、聖書には

記されていないことがらです。




  もしも私たちのなかに、このようなカトリックとも仲良くやっていこう

という気持ちが少しでもあるなら、日本にあるさまざまな宗教とも、争わず

にやって行くことも出来るはずです。すくなくても、良いところを認め、賛

同し、受け容れながら、私たちの神について説明し、私たちの神に祈ること

もお勧めできるはずです。日本人の多くは、どの神に向かって祈ることも否

定しません。神なんぞ存在しないといいながら、祈ってもらうことを喜ぶの

です。ですから、天地創造の神を紹介してその力によって、助けを体験する

ように励ますことが出来ます。

 

                        つづく










posted by MS at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月20日

日本の宣教を問う  (3)


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☆       ☆        ☆        ☆


  日本人のプラグマティズムは、明治の始めと同じように今も健在で、自分

たちに都合の良いものは、芸術にしても娯楽にしても、科学知識や技術にして

もどんどんアメリカから輸入します。日本では自分の学びを進めることができ

ないと思う人たちはどんどんアメリカに移住し、いわゆる頭脳の流失が続いて

います。今年のノーベル賞受賞者の中に、日本人が4人もいると、日本のメデ

ィアははしゃいでいますが、その内の2人は正式には日本人ではありません。

すでにずいぶん前に前にアメリカ国籍を取って、「アメリカ国民」となってい

るのです。アメリカのメディアははっきりと彼らをアメリカ人として報道して

います。日本とアメリカとの「国民」の定義の違いが現れていて面白いのです

が、とにかくそのようななかでも、和魂洋才の精神が生きているのです。そし

て多くの日本人は和魂洋才でよいと感じています。




  「日本は西欧キリスト教諸国のような残虐非道な植民地政策を進めなかっ

た。植民地政策を進めたことは進めたが、西欧キリスト教諸国が進めたような、

自国の利益だけを目指した非人道的な植民地政策とは異なっていた。目指した

のは、途中で挫折したとはいえ、アジア諸国の共なる発展、大東亜共栄圏であ

る。また日本はキリスト教なしに、経済的にも科学的にも立派にやってきた。

国の治安も、どこのキリスト教国にも負けない。日本の文化はすべての良いも

のを受け容れ融和させる『和』の文化である。アジアの国々の多様な文化も、

多くの神々も共に認めて融和を図る文化である。『絶対』などというものを何

ひとつ認めない、相対の世界観である。絶対を認めるとき、人間は非寛容にな

り、和を認められなくなる。日本の精神、日本の神道に現されたおおらかな

『和』の精神こそ、今、世界が必要としているものである」と、たとえ理路整

然と述べられなくても、多くの日本人は感じているのです。そこに、仏壇はだ

め、お葬式はだめ、お墓参りもだめ、焼香はだめ、未信者との結婚はだめ、日

曜日の運動会はだめ、町内会の寄付はだめ、氏神様の祭りはだめ、盆踊りはだ

め、お雛様はだめ、忘年会はだめ、お花見もだめという、非寛容、非妥協のキ

リスト教宣教が進められているのです。キリスト教は、日本の社会生活を乱す

宗教となっているのです。




V. 日本の土壌を変える試み


  日本の土壌は、キリスト教の根を腐らせ枯らしてしまうということは、多

くの人々によって言われてきました。そこで西欧宣教師をはじめ、西欧キリス

ト教を学んできた多くの牧師や伝道者たちは、まずキリスト教の根を腐らせ枯

らせてしまう日本の土壌、すなわち日本の文化を敵視し、これを変えなければ

ならないと考えてきました。端的に言って、彼らは日本の文化が西欧的になれ

ば、あるいはアメリカナイズされればキリスト教の根は強く張り、枝葉を伸ば

し、実を結ぶと思ったのです。




   多くの宣教師たちは、単に自分たちの文化こそより優れたものであると

か、自分たちの文化はキリスト教文化であるという身勝手な思い込みを持って

いただけではなく、日本の文化を、福音宣教を妨げている元凶あるいは悪魔の

砦と見たのです。それだけではなく日本の牧師たちの多くも、実は、もともと

西欧的な福音に応じてクリスチャンになることができた人たちで、ある意味で

西欧人たちよりも強い西欧志向を持っていたのです。西欧のものはほとんどな

んでも優れていると思えた、少数派の日本人だったわけです。したがって彼ら

は、「日本の文化は福音の敵だ、悪魔の砦だ」という宣教師たちに、容易に共

感できたのです。彼らは欧米宣教師たちにも増して、日本文化の敵対者となり

ました。キリスト教書店に行くと、その類の書籍が並んできます。




  彼らが真っ先に気づいたことは、日本社会の中に織り込まれている日本の

宗教文化です。2000年、あるいはそれ以上の長期間にわたって、日本人の精

神に影響を与えてきた神道的な感覚と習慣、1400年ほどに及ぶ仏教の影響、

そして底なしのドブ沼のようなアニミズムの感覚。これらすべてのものを一刀

両断、偶像礼拝の罪と断じて切り捨てたのです。しかし彼らは日本人の感覚を

忘れかけた日本人でした。あるいは逆に、そのような感覚にどっぷりとつかっ

ていたために、クリスチャンになってからはかえって、その臭いを嗅いだだけ

で吐き気をもよおすほど嫌いになっていた日本人でした。いずれにしても、日

本の文化と日本人の感覚を冷静に学び理解しようとする態度をもてない人々で

した。




  ですから彼らは西欧宣教師たちと一緒になって、神道や仏教とそれらの行

事を偶像礼拝として排斥しただけではなく、それらの異教的背景を持った日常

生活の習慣や行事にいたるまで罪として敵視したのです。その結果、彼らは

「和」を重んじて、見なかったことにし、聞かなかったことにし、言いたいこ

とも言わないで、ひたすら我を引っ込めて、耐え難きを耐え忍び難きを忍びつ

つ生きてきた大多数の日本人には、調和を乱すものとして厄介者扱いにされて

しまいました。日本人に大切なのは善か悪かではありません。真実か虚偽かで

もありません。白か黒かではないのです。そのようなものすべてをやさしく覆

う「和」なのです。日本人の社会生活を支配しているのは、この「和」の精神

です。



 ☆       ☆        ☆        ☆


  もちろんすでに述べたように、この和の精神が常に美しく作用しているわ

けではありません。犯罪者の集団の中では犯罪に反対することが「和」を乱す

最大の悪であるように、「和」は良くも悪くも作用するのです。そしてその

「和」が、伝統的な日本の文化を形成してきたのです。多くの宣教師や伝道者

にとって、親族や家族に関わる仏教行事、あるいは地域共同体に関わる神道行

事は「宗教」であり、偶像崇拝です。しかし、大多数の日本人にとっては仏教

行事であっても神道行事であっても、神も仏もどうでもいいのです。むしろそ

れらは、共同体の絆を強める、つまり、「和」を補強し、確認させる行事なの

です。たとえば、仏壇を焼け位牌を処分せよと教える牧師や宣教師たちは、そ

れを偶像礼拝の対象として見ていますが、日本人はだれも仏壇を偶像として見

ていませんし、位牌を偶像として見てもいません。つまり礼拝の対象とも崇拝

の対象とも観ていないのです。それらは「家」と「イエ」を結ぶ要であり、先

祖を大切にする象徴であり、共同体社会の精神に欠かせないものなのです。

(家=血縁や婚姻などによって横につながる同世代の親族関係。イエ=先祖か

ら子孫にいたる時代をこえた縦のつながり)




  多くの日本人にとって仏壇を否定することは、仏教を否定することではあ

りません。位牌を捨てても仏教を捨てることだとは思っていません。事実、仏

教なんてどうでもいいと思っている人たちもたくさんいるのです。彼らにとっ

て仏壇を否定することは、仏壇にまつわって形成されている日本の社会の「和」

を否定し、破壊することであり、位牌を捨てることは、比較的近い先祖との繋

がり、すなわち「イエ」を否定することなのです。鎮守の祭りだろうと氏神さ

まの祭りだろうと、本質は仏壇と同じです。祭られている神は何だってかまわ

ないのです。大切なのは、それによって培われる地域社会の一体感、「和」な

のです。ですからその祭りから、「神」がはずされ、「よさこい祭り」でも

「雪祭り」でも「さくらんぼ祭り」でもいいのです。西欧的な、神の前に生き

る一人の人間としての自分を認めることができない日本人は、そのような「和」

の中にあって、初めて自分の存在を確認できるのです。つまりそれによって、

自分がどこの馬の骨ともわからない寄る辺のない人間ではなく、家族も親戚も

家系ももち、地域社会の中で認められて生きているものであると、確認するこ

とができるのです。適当な日本語がないために嫌いなカタカナ文字をまた使い

ますが、自分に「アイデンティフィケーション」を持つことができる、すなわ

ち、自分が誰であるかということを知ることができるわけです。(アイデンテ

ィフィケーションは、「自己定位」といわれていると教えてくださった方がい

ます。なるほどですが、「定位」がわからないとわからない。わからないこと

に違いはありません) このようなアイデンティフィケーションをもてない人

々は、容易に犯罪に走ったり自らの命を絶ったりするのです。




  実際のところ現代の都市化した日本では、そこに住む大多数の人々が地方

の古い感覚を横において生活をしています。地縁血縁の和などを捨ててしまっ

たような毎日です。ところが、日本的和の感覚は新しい形で、しかもたぶん悪

化した形で残っています。昔の和の手本だった「お家」は職場に残り、異なっ

たものを排斥する「和」はいじめを生み出し、見ざる聞かざる言わざるの「和」

はいじめを助長しています。会社でも学校でも地域でも付和雷同が横行し、ボ

ス社会が出来上がっています。ですから、田舎の和の人間関係も都会の変形し

た和の人間関係もいやになって、欧米的個人主義を取り入れて生きる人も少な

くありません。そして、そのような人々に、欧米個人主義に味付けされたキリ

スト教が受け容れられているのも確かです。




  それで短絡的な人は、日本から田舎的な共同体文化がなくなり、欧米の個

人主義になれば伝道が進展すると考えます。個人の確立ができ、周囲の人々の

意見に左右されずに自分の意見をしっかり持ち、自分の意思に従って行動でき

る人が増えてきたら伝道が可能になるというわけです。でも、ほんものの個人

主義は、神に似せて造られた一個の人格としての自分を認めることから始まり

ます。それなしに持てる個人主義は、単なるヒューマニズムの延長に過ぎませ

ん。あるいはただの自己中心を個人主義と勘違いしているだけです。したがっ

て、日本に個人主義をなじませ、それによってキリスト教を定着させようとす

るのは順序が逆です。キリストの教えが根付かなければ、ほんものの個人主義

は育たないのです。キリストの教えの根付いていないところに育つのは、個人

主義に似た利己主義、自己中心という雑草です。




  神の姿に似せて造られた人間、神のみ前に一人の人格を持った存在として

生きる、個人の大切さに気づかずに、無神論と進化論に根ざした人本主義がま

かり通る、現在の日本の中で個人主義が強調されると、せいぜい、個人主義と

利己主義を取り違えた人々が増加するだけなのです。ですから、たとえばその

ような都会感覚でクリスチャンになった人々がひとたび田舎にもどると、クリ

スチャンを辞めてしまうことが珍しくありません。都会でのように、「付け焼

刃」の個人主義で簡単に生き続けられるほど、田舎の共同体感覚は弱くも甘く

もないのです。それで彼らは「個人主義」を擁護する戦いを放棄し、昔ながら

の古い地縁血縁の世界に逆戻りするのです。そのとき、「個人主義的キリスト

教」も一緒に捨ててしまうわけです。同じようなことが海外で、たとえば、ア

メリカでクリスチャンになって帰国した人々の間にも、見ることができます。




  日本に福音を根付かせるためには、本当に、共同社会の和を強調する日本

文化を壊し、個人主義を取り入れるようにしなければならないのでしょうか。

確かに地方で伝道をしていると、地域共同体の和のために、キリスト教信仰を

あきらめなければならなくなるという事態に遭遇します。それは珍しいことで

はなく、むしろしばしば起こることです。しかし個人主義的にならなければ、

日本は福音化されないと考えるのは、歴史的事実を無視するものです。現在の

西欧的な個人主義は、せいぜいフランス革命まで遡ることができるだけです。

個人主義がキリスト教の先行条件ではなく、キリスト教的考え方が、現代個人

主義を育成してきたのです。ですから、福音は個人主義的文化だろうと、共同

体的文化だろうと、全体主義的文化だろうと、そこに定着することができるの

です。ただ、現在私たちにもたらされているキリスト教が、個人主義的であり、

日本文化に馴染まないという事実は残ります。必要なのは日本の共同体的文

化、共同体的価値観を変えるのではなく、福音から、現代西欧文化としての個

人主義を切り離し、福音だけを語ればいいのです。西欧の土壌で芽生え育った

木を移植するのではなく、種そのものを植えれば良いのです。福音の種は、ど

のような土壌でも育つのです。



☆     ☆     ☆


  神道や仏教の背景をもった社会習慣や行事は、地方に行けば行くほど強固

に守られています。そして神道色が強く、仏教臭が強いほど、反キリスト教の

度合いも強まります。徳川幕府が250年にわたって反キリスト教政策を推し進

めたとき、利用したのが仏教だったのですから当然です。明治から、すくなく

ても、1945年の敗戦に至るまでの日本政府の反キリスト教政策は、神道を強固

にすることによって行われてきたのですから、当たり前です。明治政府は、先

進諸国の仲間入りをするために「建前」として信教の自由を憲法で謳いました

が、「本音」は、神道を高揚して和魂洋才の国家造りだったのです。これは、

ただちに国家神道に発展し、いまも靖国問題などに名残が色濃く残っているの

です。徳川幕府も、明治以来の日本政府も、仏教を正しい宗教だと判断したわ

けでも、神道こそ真実の宗教だと信じたわけでもありません。彼らは実利主義

に立って、それらを利用したに過ぎません。仏教的精神土壌を作り上げること

によってキリスト教を排斥し、神道的社会構造と通念を形成することによって、

キリスト教の侵入をとどめようとしたのです。




  では、神道は初めから反キリスト教で、キリスト教に戦いを挑んできたの

でしょうか。仏教は初めから反キリスト教であり、キリスト教を撲滅しようと

していたのでしょうか。事実はその反対です。まず、はなはだ聖書の教えに反

したキリスト教国が植民地獲得に乗り出し、神道と仏教を主な宗教としていた

日本に脅威をもたらしたのです。そのキリスト教国の脅威から日本を守るため

に仏教が利用され、神道が悪用されました。そこでキリスト教は(キリスト教

国ではなく、欧米の宣教師に代表される勢力)仏教と神道を敵とみなしてこれ

に戦いを挑みました。しかし今問題なのは、この欧米宣教師によってもたらさ

れたキリスト教が、果たして聖書の示しているキリストを代表しているか、聖

書の教えと合致しているかということです。言い変えると、聖書の神、聖書の

キリスト、聖書の聖霊は、日本の宗教を敵視しているか、聖書の教えは日本の

仏教的教えや神道的教えを敵として排斥しているかということです。




  たしかに日本の牧師たちの多くは、神道も仏教も、その他どのような宗教

もキリスト教の敵であると考えています。敵とは言わなくても、少なくても偶

像教であり、福音宣教を妨げるものであると考え、これらを取り除かなければ、

日本の福音宣教は妨げられ続けると判断しています。それで、これらを取り除

くことが福音宣教そのものと同じくらい大切だと感じる人たちも出てくるわけ

です。福音を語る代わりに、仏教を非難し、仏像を壊せと叫び続けている人た

ちがいます。聖書を語るかわりに、日本社会の地縁血縁を敵に回して声を荒立

てている人たちもいるわけです。そして私たちの同労者諸師の中にも、そのよ

うな方たちが少なくありません。でも、本当に聖書はそのようなことを教えて

いるのでしょうか。新約聖書の使徒の働きや諸書簡には、宣教地の宗教や文化

を破壊し取り除かなければ、宣教はできないと教えているでしょうか。




  いささか極端な間違いですが、全体的に見るならば比較的私たちに近い考

え方をしている伝道者たちの中には、日本を支配している地域霊、あるいはそ

れぞれの地域を支配している地域霊なるものを追い出さなければ、そこでの宣

教はできないと信じて、一所懸命に悪霊追い出しに駆け回っている方々もいる

のです。日本の文化そのものを悪魔や悪霊の文化と断じ、あらゆる宗教を悪魔

の業として悪霊たちがこれに関わっていると断罪しているわけです。聖書の中

に、地域を支配する悪霊を追い出すなどということを、正当化できるような教

えや例や思想があるのでしょうか。そもそも地域を支配する霊などというもの

の存在を、聖書から証明できるものでしょうか。あるいは、そのような神学が

正当化されるほどの記述があるのでしょうか。さらに、地域を支配している霊

を追い出せば、福音宣教が進展するなどという考え方が、聖書の中に少しでも

あるのでしょうか。そのような実例が一度でも聖書に記されているのでしょう

か。もちろん、そのような記述は聖書にありません。「聖書的」を標榜する私

たちの仲間がそのようなことにうつつを抜かしているのは、かなしむべき現状

と言わなければなりません。あるいはキリスト教以外のすべての宗教を直接悪

魔のわざと断定し、悪霊が関わっていると言い切るだけの聖書的根拠があるの

でしょうか。それもまた、聖書の教えではありません。私たちはもっとしっか

りと聖書の教えを学び、その上に立つ信仰を持たなければなりません。




  キリスト教以外の宗教は悪魔の業だというような考え方は、たとえ大多数

の宣教師、教職者、あるいは信徒がこぞって賛同するものであったとしても、

また、歴史的にその様な考え方が、正当化されてきたとしても、聖書の教えで

はないことに気づく時期に来ていると思います。もっと、しっかりと聖書を学

びましょう。多くの宗教が悪魔的な側面を持ち、実際に悪魔によって利用され

てきたことに異論を唱えるつもりはありません。さまざまな宗教的慣習や儀式

などに、悪霊どもが関わっていることも否定しません。そのような例は聖書の

中にも見出されます。でもそれは、資本主義が悪魔的であり、共産主義が悪魔

的であるのと同じくらい悪魔的であるに過ぎません。特に資本主義社会の中に

働く悪魔と悪霊は、積極思考、成功志向、繁栄の福音などという、美しい名前

をとって教会の中に入り込み、資本主義の構造の中にしっかりと納まりながら、

神の名をもって貧しい開発途上国の人々を苦しめ続けています。




☆       ☆        ☆        ☆


  いったい宗教の起源はどこにあるのでしょう。もちろん私たちは、無神論

者たちが主張するような宗教の起源を無視します。あくまでも聖書の教え、聖

書の記述から考察するのです。聖書から語るならば、宗教の起源は人間が神の

姿に似せて造られ、神と交流できる能力を与えられていることに由来していま

す。人間は神に造られた霊的な存在として、動物の中では唯一、神を認識する

ことができる存在です。人間には初めから本能として神を感じ、神に祈り、感

謝する、宗教意識が与えられているのです。人間とは神を礼拝しようとする動

物、祈る動物です。この本能は、悪魔に誘惑されて罪を犯し、神のみ前から追

放された後になっても、決して失われることはありませんでした。




  神から追放されて神なしに生き、増え、神なしの社会を形成した人間は、

神を呼び求めずにはおれなかったのです。創世記に「彼らは神を呼び始めた」

と記されている通りです。しかし、その呼び掛けに神は簡単に答えることはで

きませんでした。罪を犯した人間に対する神からの接触は、神の聖さと関わっ

て著しく限られていたからです。堕落して、神から離れた社会を作り上げてい

た人間は、数代もたてば本当の神の姿を忘れ、おぼろげな神意識で怪しげな神

観念しか持てなくなってしまいました。それでも彼らは神を呼んだのです。こ

の神を求めて叫ぶ人間の本能が悪なのではありません。人間が神を呼ぶ事が

罪なのではありません。間違った神を呼ぶ事も、それ自体が罪なのではありま

せん。それはむしろ、罪の結果なのです。人間が神を求め、神を礼拝しようと

願うのは罪のゆえではなく、神が人間に与えてくださった霊的性質、霊的能

力、本能によるのです。もしもこの本能がなかったなら、人間は神を意識でき

ないのです。神を感ずる事も認めることもできなくなるのです。




  母親の乳を吸う本能を持っていない赤ちゃんを想像して見てください。そ

のような赤ちゃんを育てるにはどうしたらよいのでしょう。赤ちゃんは、誰に

教えてもらわなくても母親の乳房に吸い付く本能を持っているから、生きるこ

とができるのです。まちがってお父さんの乳首に吸い付いても、わらってお母

さんに抱かせてやれば良いことです。親指に吸い付いたら、哺乳ビンを吸わせ

ればいいのです。人間は、宗教的本能を与えられているから、神を信じる事が

でき、福音に応答する事もできるのです。間違っておかしなものを神だと思っ

て礼拝していても、それ自体が罪なのではなく、むしろ罪の結果です。




  もちろん、私たちは、パウロが記した偶像崇拝の罪とその結果についての

教えを知っています。(ロマ1:18〜32) 私たちの神は、理性を持って

考えれば、偶像と同一視されるような神ではないことが明らかです。そういう

意味において、人間が偶像を礼拝する事は罪です。しかし同じパウロによれば、

人類は、理性をもって正しい神に到達する事すらできないほど、堕落していた

のです。聖霊の証と導きがない限り、人間は自分の能力で神を認めることはで

きないのです。人類が偶像礼拝をするのは、神を離れ神の本当の姿を見失った

結果であり、罪の結果なのです。パウロがここで責めている事は偶像礼拝の罪

そのものではなく、罪の結果、本当の神を認めることもできなくなってしまっ

た惨めな人間の状態です。罪を犯して堕落し、神を離れてしまった人間には神

がわからなくなってしまい、偶像礼拝にまでしかたどり付けなかったのです。





  ですからパウロは、神を礼拝する人間の本能を責めてはいません。かえっ

て、アテネで多くの偶像を前にして語ったように、人間の宗教本能を認めて、

たとえ礼拝の対象が偶像であったとしても、礼拝する行為そのものは賞賛して

いるのです。もしも人間に神を礼拝する本能がなければ、すでに言いましたよ

うに、伝道することもほとんど不可能です。人間に、神を礼拝したいという本

能があるからこそ、伝道も可能なのです。したがって、宗教をことさら罪悪視

し、敵視するのは誤っています。




  旧約聖書を読むと明らかなのですが、・・・・・・とはいえ、宣教師たち

に教えられたような独善的態度で読むと、明らかでなくなりますが・・・・・

神は異教とそれを信じる人々には非常におおらかなのです。おおらかでなくな

るのは、エジプトを脱出させられたイスラエル人が他の神々を礼拝したり、他

の民族がイスラエルの中に異教を持ち込んだりする危険がある時だけです。そ

のおおらかではない神の態度を、福音の及んでいない人々に適用するのは間違

っています。まだ、出エジプトを体験していない民族に当てはめるのは正しく

ない事です。まだ救われていない日本人に、偶像礼拝は罪であると叫ぶのは的

外れです。





  神は、人々が異教の神を拝むことに対して意外に寛容であられるという事

実に、多くの聖書学者が気づいていないのはいったいどうした事でしょう。わ

たしのような素人的な読み方しかできない者が気づくのですから、本当の聖書

学者ならばとうの昔に気づいているはずです。でも、他のクリスチャンたちの

反発が怖くて言えないのでしょうか。そんなはずはありません。神の前に一人

の人間として自己確立ができているはずのクリスチャンならば、誰をも恐れず

に言うことができるはずです。神は人々が異教の神々を礼拝し、偶像を拝んで

いる事に、とても寛容なのです。ただし、例外があります。その例外は、神の

救いを民族として体験したイスラエル人と、新約においては、同じ神の救いを

個人として体験したクリスチャンに対してです。



                         つづく




  





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2010年10月19日

日本の宣教を問う (2)



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☆       ☆        ☆         ☆


  しばらく前のことになりますが、「余は如何にして基督信徒とならざりし乎」

というタイトルの本が出版されました。もちろん内村鑑三の有名な著書のパロデ

ィですが、内容は、クリスチャンになり損ねた多くの著名人の体験を綴ったもの

で、彼らがキリスト教、あるいはキリスト教宣教師につまずいた理由が記されて

いました。その中で最も多かったのが、宣教師たちの非妥協的態度、白黒、善

悪、嘘と真実をはっきり分けて考える考え方にはついて行けなかったということ

でした。日本人は昔から和を重んじる生活をしてきました。それは、小さな島国

で他国からの侵略も無く、先祖代々から稲作という非常に定着性の高い生業を

もち、生まれた土地に一生閉じ込められたような生活を重ねてきた日本人にとっ

て、最善の生き方だったと言えます。みんなで仲良く生きるためには、常に妥協

し、白黒の判断をつけず、善悪の境を曖昧にし、嘘も方便として真実と同じくら

い大切にして来たのです。




  もちろん、この和にも欠点はあります。常に周囲の人々の顔色を伺っている

ような生き方、自分の考えをはっきりと言うことができない「煮え切らない」態

度、「見ざる聞きかざる言わざる」の世界。さらに地域社会や共同体の中では付

和雷同が普通になり、強いものが黒と言えば白い物も黒くなることなどは、和を

重んじる生き方の欠点といえるでしょう。そしてここに、個人主義をよしとした

宣教師たちが入ってきたのです。集団の益よりも個人の権利を主張し、真実の

ためには平気で「和」を破壊する彼らの態度は、常に集団を先に考えて、「和」

という人間関係を最優先にする日本人には合わないものでした。




  とはいえ、昨今の日本人はかなり変化し、表面的には非常に個人主義になっ

て来たようで、アメリカ化したなどといわれます。ただし、この個人主義はむし

ろ利己主義というべきもので、個人主義とは似て非なるものです。利己主義なら

ば欧米宣教師の多くも利己主義を捨てきらない、「キリストの不肖の弟子」だっ

たといえます。しかし日本人が利己主義を捨てて生きると集団主義になり、宣教

師たちが利己主義を捨てると人間一人ひとりの権利を認める、個人主義になる

のです。個人主義は一人ひとりの権利を認めます。また、自分の権利に目覚め

ていない人に対しては、権利に目覚めさせようとします。宣教師たちは、宗教

の選択は個人の自由であり、基本的人権に属することであると考えます。です

から、家族や地域社会が個人の自由の行使を妨げるときには家族と戦い、地域

社会を捨ててでも信仰を守り通すように教え、それができてこそ本物のキリス

ト教徒であると教えたのです。ところが日本の社会は、そのような信仰は利己

主義であり、日本人の心のよりどころである「集団の和」に反すると考えてい

るのです。




  また多くの宣教師たちは、キリスト教以外の宗教はすべて偶像教であり罪

であると一方的に教えこみ、宗教が文化や社会の中で果たしてきた役割を、認

めるどころか気づくことさえありませんでした。日曜日に仕事をして礼拝会に

出てこないのは罪、先祖のお墓参りをするのは罪、仏壇を持つのは罪、葬式な

どの仏事に参加するのは罪、宗教的背景を持つ地域社会の行事に参加するこ

とは罪、氏神の祭りに使われるかもしれない寄付金を出すのも罪、未信者との

結婚も罪、したがって未信者の見立てによる見合い結婚も罪と高圧的に断じ、

個人主義的感覚でさまざまな日本的しきたりに挑戦してきたのです。立派なク

リスチャンは、この世と妥協せず、たとえ親から縁を切られ、親族から追い出

され、地域社会から村八分にあっても信仰を守り通すものと教えられたので

す。

シャデラク・メシャク・アベデネゴやダニエルの姿勢が本当のクリスチャンの

態度だと励まされたのです。




  その結果、異教文化の中では生きていけないクリスチャンを作り出していた

わけです。異教文化の中で周囲の人々と平和に過ごしていた、アブラハムやイ

サクやヤコブ、さらにはヨセフやモーセの生き方は無視されてきました。シャ

デラクやメシャクやアベデネゴたちが、あのような事件に巻き込まれるにいた

るまでの、社会における信用の積み重ねも考察されることはありませんでした。

異教の中に生きてきて異教の王に仕え続けたナアマン将軍の例も、無視されて

きました。バビロンやペルシャの支配の下で、律法に定められた神殿礼拝がで

きなくなったユダヤ人は、会堂という制度を発展させて神殿礼拝に変えたとい

う「妥協」の成果に、考えをおよぼす宣教師はいませんでした。宣教師たちは

異教文化を敵とみなして、宣教の接触点として捕らえることに失敗したのです。





☆       ☆        ☆        ☆


  日本では、一人のクリスチャンが誕生すると、たちまち、異教社会の日常で

軋轢を生み出してきました。絶対に妥協しないように洗脳されたクリスチャンは、

必死になって教えられた信仰的生き方を守ろうとしました。家族との休日や大切

な働きを犠牲にして礼拝会に出席しました。お墓参りには行きませんでした。仏

壇には手を合わせず、花も飾りませんでした。法事にも参列しませんでした。地

域の寄付金はおさめませんでした。このようにして勝利したクリスチャンは、教

会の中で勝利の証をします。そしてさらに、これに続くものが起こるようにと励

まします。ところがこのようなクリスチャンが一人誕生するごとに、「決してク

リスチャンにはならないぞ」と決心し、自分の身内のものには「絶対にクリスチ

ャンにならせないぞ」と決意する者を、何十人あるいは何百人も作り出し、地域

社会に強烈な反キリスト教感情を育ててきたのです。そのような人々は、あのカ

トリック弾圧で植えつけられたキリスト教に対する恐れが、単なる杞憂ではなく

現実であったと思い知り、キリスト教を空恐ろしいものと考え、触らぬ神にたた

りなしと身を引いてしまうのです。




  「勝利したクリスチャン」の社会生活は、多くの場合、その高い倫理的生き

方のために、ある程度の尊敬を受けることになりました。しかし、その非妥協的

態度は常に煙たがられ、違和感をもって受け容れられることになります。つまり、

我慢してもらうことになるのです。「クリスチャンは立派だけれど。自分はあの

ようになりたくないし、自分の周囲にも、できればいてもらいたくない」という

存在になるのです。時にはそのような寛容の範囲を超えるために、それまでの社

会生活を継続できなくなるクリスチャンも出てきます。物にたとえるならば、病

気のために体内に入れられた人造臓器のようです。それ自体は良いものです

が、体はそれをよそ者と認識して受け容れないのです。それで、信仰のために、

仕事も変え、親も捨て、親戚も忘れて生きるクリスチャンが出現するわけです。

これでは教会の中では模範になる証人かもしれませんが、本当の意味の証人、

すなわち救いを必要としている人々にキリストを証する証人にはなれません。




  こうしてキリスト教は一方では学校を建て、病院を開き、孤児院を設け、

幼稚園を始め、社会に貢献して広く受け容れられながら、他方では日本の生活

習慣を敵にして馴染まないばかりか、あれこれとうるさく批判し攻撃し続ける

非常にはた迷惑な存在となり、反社会的宗教であると見られているのです。そ

ればかりか、多くの日本人にはクリスチャンになるべき理由が見つからないの

です。日本という国は、キリスト教なしにずっとうまくやってきました。大概

のキリスト教国より善良であり、ほとんどのキリスト教国より豊かです。どこ

のキリスト教国よりも安全で、犯罪も少なく、社会福祉もそれなりに整ってい

ます。これからも、キリスト教なしにやっていけると思っています。誰かが個

人的な悩みや問題を抱え、キリスト教に救いを求めるのは、それはそれで良い

でしょう。でも、できれば、自分の家族や職場、あるいは地域社会にそのよう

な人が出ないように願っています。周囲に馴染まない人間ができ、なによりも

大切な「和」が乱されるからです。




U. キリスト教を拒絶する土壌での宣教
 

  日本の宣教は、このように、キリスト教を拒絶する土壌での宣教であるこ

とを理解するのが、非常に大切です。私たちはあまりにも自分の国の精神土壌

を無視した、あるいは理解していない伝道をくり返してきたのではないかと考

えさせられます。




  比較的短く困難な宣教の歴史しか持っていないわたしたちが、長い宣教の

歴史を持つ国々や、勢いよく宣教が進んでいる地域の働きに目を見張り、その

教会の活発さに心を奪われるのは自然の成り行きです。しかしよく考えて見ま

しょう。長い歴史の中で、いわゆる「キリスト教文化」が深く根ざした土地で

の宣教の成功、あるいはキリスト教を受け容れる精神土壌の中での教会の成長

の例を取り上げて、私たちの国に持ってくること自体が、どこかおかしいので

はないでしょうか。




  アメリカの教会の成長例、韓国の宣教の成功例、南米の教会の奇跡の例、

みんなすばらしいものです。ところが、それらはキリスト教を受け容れる素地

のある土地、キリスト教に対する拒絶反応をあまり持っていない地域での話で

す。それらがどのように素晴らしくても、日本にそのまま適用することはでき

ないのです。わずかな人数の信徒が、信仰をもって心を合わせて祈りだすと、

次の週の祈り会は倍の人数になって、その次はさらに倍になって、その次はさ

らに倍になってなどという話は、クリスチャン人口が多く、クリスチャン信仰

に違和感を持たず、聖書にも、キリストにも、キリスト教にも、教会にも拒絶

反応を持たず、唯一絶対の神を理解できる人々がたくさんいる地域で、はじめ

て可能なのです。




  韓国の教会が主催するラブソナタのセミナーで、感動的な話を聞きました。

アメリカ東部の町の牧師がハワイで休暇を取っているとき、パブに入って飲み物

を飲んでいると、売春婦と見受けられる若い女性が、「今日は私の誕生日だけ

ど、生まれてから20年、一度も誕生日のお祝いなんてしてもらったことがない

わ」と話しているのを聞きました。彼女が店を出て行ってから、牧師は、「今晩

誕生祝をしますので」と店を借り切り、飾り付けをしてもらい、店の人に頼んで

あの若い女性を呼んできて、彼女のためにパーティを開いたそうです。パブに出

かけた牧師、身も知らずの売春婦の悲しみを理解した牧師。パーティを開いた牧

師。そしてそれをきっかけに救われた売春婦とその友人たち。そして、そのパブ

からはじまった伝道の働き。みな感動的です。




  とはいえ、日本の伝道のためにはこのような話は何の役にも立ちません。

たとえ信じている神様は同じでも、日本ではこのようなことは起こらないから

です。神様が奇跡を起して、一度二度やってくださるかもしれません。しかし、

それで終わりです。継続的な恒常的な働きにはなり得ないのです。神様は文化

の中で、人の心に応じてお働きになるからです。アメリカの神も韓国の神も日

本の神も同じ神であると言うのは事実です。しかしそれをもって、日本でもア

メリカや韓国で起こっているのと同じことが起こると考えるのは、まったくの

誤りです。神は人間の心に自由をお与えになりました。伝道は福音を受け容れ

るものの自由意志を尊重して行うものです。神はその自由をむやみに「侵害」

して働くことはなさらないのです。伝道は洗脳ではないのです。




  ところが私たちはいったい何をしてきたのでしょう。アメリカの大教会の

牧師を招き、南米の成功した牧師を招き、韓国の超大型教会の牧師を招き、シ

ンガポールの成功した伝道者を招き、カナダのリバイバル運動の指導者を招き、

オーストラリアの成長する教会を訪れ、アフリカの爆発的成長の教会を訪ね、

東に飛び、西に駆け、一所懸命、彼らの成功から学ぼうとしてきたのです。ア

メリカの牧会方法と教会管理を学び、シンガポールの伝道方法を学ぶのは、も

ういい加減に終わりにしなければなりません。それらは素晴らしいものです。

非常に成功し、良い結果をもたらしたことでしょう。でも、日本に持ってくる

のは間違っています。アルカリ性の土壌でよく育った作物の育て方を、強烈な

酸性土壌で試しても始まらないのです。熱帯地方で見事に育った果物の苗を、

そのまま寒冷地に持ってきて育てようとしても、うまく行かないのです。日本

は、植民地主義の手先であったキリスト教を恐れ、徹底的に排斥しようとする

文化を培ってきたのです。そのような事実にまったく気づかない日本人でも、

その影響の中に育っているのです。




 ☆        ☆         ☆         ☆


  宣教師をしていたとき、筆者は、貧しいフィリピン山岳奥地の人々の食生

活を少しでも改善しようと、日本から色々な果物の枝を持って行き、挿し木や

接木をして育てたことがあります。山岳地は高冷なため、日本とよく似た気候

が期待できるからです。しかし、葡萄も梨も林檎もキウイも桃もまったくだめ

でした。(せっかく、T先生に熊本県の農事試験場まで連れて行っていただい

て、接木用の枝をたくさん貰い受けたのですが) 温州みかんだけは芽継ぎで

成功し、いま、市場に出回っています。特定の気候と土壌で開発された果物を、

異なった土地に持ち込むことは簡単ではなのです。ケネデイ方式も、キャンパ

ス・クルセードの四つの法則も、セル方式も、それぞれの土地で素晴らしいも

のでした。日本に持ってきて成功した例も、単発的には無くはないでしょう。

しかし、異なった土地で開発されたものだったために、広くまた永続的な働き

にはならないのです。




  日本という国は、400年間以上にわたって反キリスト教感情の中にいたの

です。それは西欧キリスト教国の情け容赦ない植民地政策を背景として、人為

的につくられたものが尾を引いているのです。西洋諸国はそのような反キリス

ト教感情を持っていません。隣の韓国も、長いあいだ中国と日本とロシアの脅

威に晒されて生きてきましたが、キリスト教国の脅威を感ずることは無かった

のです。むしろ、日本の統治から解放させたのも朝鮮戦争を終わらせたのも、

キリスト教国の助けによるものだったために、基本的に、キリスト教に対して

良いイメージを持っています。スペインやポルトガルに植民地とされた国々や

地域は、大まかに言って、日本人が日本人としての自覚、アイデンティフィケ

ーションを持っていたほどには、自分たちの文化や国家に対する固い意識を持

っていませんでした。

  



  それから2〜300年後になって、プロテスタント諸国が植民地政策に躍起に

なっていたときも、植民地化された多くの国々は、わずかな例外はあったとし

ても、全体としてはまだ日本ほどの国家意識をもっておらず、自分たちの文化

に対する強烈な誇りも持っていませんでした。そのために、国家的な、あるい

は文化的な反キリスト教意識は、キリスト教に対して拒絶反応を起こすほどま

で強く、形成されることはなかったのです。それで彼らの多くは、残虐な侵略

国・宗主国の文化に疑問を抱くことなくこれを受け容れ、宗教を取り入れたの

です。筆者は多くのフィリピン人たちに、「あなたたちはどうして侵略国のス

ペインを嫌悪していながら、彼らの宗教を受け容れているのですかと」と、幾

度も尋ねてみたことがあります。みな一様に、「どうしてだろう。言われてみ

れば不思議だねぇ・・・」と、首をかしげるだけでした。彼らは侵略者スペイ

ンを憎みましたが、スペインの文化と宗教を拒絶するほどの国家意識も文化に

対する愛着も、しがみつき続けるほどの宗教も持っていなかったのです。その

ためにたやすく侵略され、カトリック教化されてしまったのです。(ただし、

カトリック国の多くがそうであるように、フィリピンのカトリックも本来のカ

トリックではなく、土地の宗教と入り混じった混合宗教です) 同様のことは、

中南米諸国についても言うことができます。




  もちろん、ヒンズー教の強かったインドや、仏教の強かった東南アジアの国

々では、独自の宗教と文化に絡んで、キリスト教に対してかなりの抵抗を見せて

いましたが、日本ほどのものではありませんでした。キリスト教の宣教に激しく

敵対したもうひとつの勢力は回教です。回教の地域や国々でも、古くは十字軍に

始まる西欧キリスト教諸国の敵対的侵略主義を経験していない所では、キリスト

教に対する態度は敵対的ではありませんでした。むしろ、おなじ神を信じるもの

としての共通点があり、福音に対してもかなりの受容性を見せていたことが多い

のです。ですから、今でも回教を国教としている国々でさえ、日本よりはるかに

高い率のクリスチャンたちがいると伝えられているのです。





  しっかりした内容を持っている宗教と、それに絡んだ独自の共通文化を持

っている地域では、福音派であるかどうかを問わず、ペンテコステ派を含めた

すべてのキリスト教が伸び悩んでいるということは、マクギャバラン(1世代

前の著名な宣教学者)の時代からすでに言われていましたが、それは今も変わ

らず真実でしょう。しかし、一方ではグロ−バライゼーションの波によって、

それらの宗教を背景にした文化地域でも、西洋の福音がかなりの勢いで入り込

んでいることも事実のようです。とくに、アニミズムとシンクレティズムの傾

向の強い地域では、悪霊に対して戦いを挑むペンテコステ派やネオペンテコス

テ派の人々が勢いを持っています。しかし、日本の精神土壌は、そのような国

々とはかなり異なって、いまだに、キリスト教全般に対して強烈な抵抗を見せ

ているのです。




☆       ☆        ☆        ☆


  日本人が日本人としての自覚と誇りを持つとき、多くの場合国粋的になり、

反キリスト教的になるのを避けることはできません。ここ数百年の日本の敵はキ

リスト教国だったからです。戦後少しのあいだ、民主主義とヒューマニズムのア

メリカの教えに誘導されて、キリスト教に対してもかなり良いイメージが作られ

たかのように思える時期もあったのですが、ベトナム戦争、イラク戦争、さらに

はグローバル化の中での歯止めのない資本主義経済の弊害を撒き散らし、国

家的自己中心を平気で押し付けて止まないアメリカに、日本人の多くは幻滅を

感じ、その精神的支柱といわれるキリスト教に失望しているのです。





  日本は、経済問題では、長いあいだアメリカに無理難題を押し付けられてき

ました。とくに近年では、何かといえば身勝手な「301条」を押し付けて来るア

メリカの経済外交に、煮え湯を飲まされてきたと感じる人が増えています。(特

にタイプを打つことの多い筆者などは、マイクロソフト社のワードが非常に「の

ろま」なのに、いつも腹立たしい思いをしています。もしも当時の通産省がアメ

リカの301条に降伏せずに、民間と協力していた「トロン」を完成し、マイク

ロソフト社と対抗していたら、よほど使い勝手がいいワープロが出回っていただ

ろうと、変換ミスをくり返すたびに腹を立てています) 戦後のアメリカが日本

にしてくれたことの功績は、非常に高く評価されなければなりませんが、人間と

いうものは、自分が受けた恩はあまり理解せず、理解してもすぐに忘れてしまう

ものです。日本人もまったく同じです。現在の日本の繁栄(?)と安定をもたら

したのは、日本人の勤勉さのように言われますが、これは我田引水の自己賞賛

以外の何ものでもありません。日本人の勤勉さは事実でしょう。しかし、勤勉さ

だけであれだけ荒廃した国家を回復させることはできません。





  たとえば、マッカーサーがフィリピンで実行しようとしていた二つのことを、

代わりに日本で実行していなかったならば、現在の日本はありえませんでした。

日本の有識者のほとんどが、なぜかこのことに口をつぐんでいるのですが、その

二つのことは、農地解放と財閥解体です。この二つだけでも・・・・学校給食も、

DDTの散布も、フルブライトの留学支援も忘れて・・・・・日本人はアメリカを

大恩人(?)として崇めなければならないでしょう。敗戦後、大陸からの数百万

人に及ぶ引揚者の大部分は、100隻以上の船を出しくれたアメリカ軍によって、

日本まで運んでもらいました。極度の物資不足に陥っていた日本政府は、何も

することができませんでした。たとえできたとしても・・・・・、たぶん、やら

なかったでしょう。残留孤児、餓死者、行方不明者を合わせると、数十万人に及

ぶ日本人が、ここでまた大変悲惨な目に遭ったに違いありません。




  こういう筆者も、瀕死の幼児としてこの船で運ばれて、博多に上陸しました。

敵国だったアメリカの親切がなかったら、確実に死んでいたことでしょう。とこ

ろが、筆者がこのことでアメリカに感謝をしたという記憶がありません。理屈で

は感謝しなければと思うのですが、気持ちが伴いません。逆に、35年ほど前に

アメリカ人の歴史教師から聞いた、どこまで真実かわからない話を思い出して

は、腹を立てているのです。はなはだ勝手ですが、これが気持ちというもので

す。このアメリカ人教師によると、日本が卑怯な真珠湾攻撃をするように仕向け

たのは、ルーズベルト大統領を始めとするアメリカの策略だったというのです。




  ルーズベルト大統領は、すでに始まっていたヨーロッパでの戦争には参戦

しないと公約して大統領に当選したけれども、ヨーロッパ側からの強い要請が

重なり、参戦の機会を探っていた。それで、日本に無理難題を押し付け卑怯な

先制攻撃をしかけさせれば、アメリカ国民は激しく怒り、日本との交戦に賛成

するに違いない。日本と戦争になれば、連合国対三国同盟を結んでいた国々と

の戦争として、ヨーロッパ戦線にも加わる大義ができるというものです。ルー

ズベルトは日本海軍の通信を傍受させることによって、真珠湾攻撃の日時まで

正確に把握していながら、あえてなにもせず、卑怯な奇襲攻撃を受けたと言っ

てアメリカ国民の怒りを扇動したのだというのです。日本はアメリカによって、

戦争に引きずり込まれたことになります。




  現在ではこのような見方が、日本のメディアでもしばしば取り上げられ、ど

うやら通説になっているようです。それで、敗戦後の民主主義の手本としてのア

メリカ、優しく親切なヒューマニズムの精神に溢れたアメリカを見て、それがキ

リスト教精神だと誤解してキリスト教に美しいイメージを被せていた多くの日本

人は、このような暴露話を聞いて幻滅しているのです。「キリスト教国アメリカ

」の黒い腹を見たような気分です。アメリカに対する無邪気な憧れは、ベトナム

戦争のころから崩れ始め、湾岸戦争やイラクの紛争によってさらに破壊されまし

たが、いまや、アメリカの身勝手に多くの日本人は嫌悪さえ抱いています。




  しかし、いまだに北方四島を不法に占領し続けているロシアとはちがって、

アメリカは戦後8年で早々と奄美諸島を返還し、沖縄も戦後27年で返還しまし

た。ところが問題は、日本人はそのようなことは理解せず、あるいはさっさと

忘れてしまって、広島と長崎の原爆、無差別攻撃の犯罪は絶対に忘れないなど

とがんばっていることです。人間は、受けた恩も与えた害も忘れます。日本人

も例外ではありません。日本軍(関東軍)の三光での所業、731部隊の細菌兵

器工場とそこで行なわれた人体実権について知っている人はわずかです。重慶

の無差別爆撃を知っている人はほとんどいません。フィリピンで行なわれた、

「バターン死の行進」など、よほどの人でなければ知りません。シンガポール

での虐殺はシンガポールに旅行したときに、シンガポール人に教えられて恥ず

かしい思いをするのが関の山です。



                          つづく








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2010年10月18日

日本の宣教を問う (1)



日本の宣教を問う


                          
  プロテスタントの日本宣教は今年で150年を迎えます。(ベッテルハイ

ムが1846年に沖縄で宣教活動を開始していますので、正確には今年で162年

のはずです) それほどの長い年月が過ぎたにもかかわらず、日本の宣教は

遅々として進まず、総人口に対するクリスチャンの割合は普通の統計でも1

%前後で、福音的な見地の統計によると0.2%を越えるかどうかに過ぎませ

ん。私たちのアッセンブリーの群れは、最近の情報によると、全世界で6千

万人の日曜礼拝会出席者を得ていると報じられています。つい数年前には5

千万人と言われていたのですから、大変な増加です。それがどれほど正確で

あるかどうかは別にして、とにかくそのような中にあってさえ、日本では、

やっと1万人をわずかに上回るだけです。




  なぜ、このような事態になっているのでしょうか。世界には、日本以外

にもクリスチャン人口の少ない国々があります。ただそれらの国々のほとん

どは、宗教的理由や政治的政策として、禁教国あるいは準禁教国としてキリ

スト教の宣教を阻止もしくは制限している国々です。またそのような障害に

もかかわらず、キリスト教の宣教は強力に進められ、日本よりはるかに多く

の割合でクリスチャンが存在するようになっているということです。日本は

明治6年に信教の自由が認められて以来、太平洋戦争の間のわずかな期間を

除いては、ほとんど完全な宣教の自由が保障されて来ました。それなのにこ

のような現状に甘んじているのです。
  



  個人的経験から主観的に言いますと、筆者が救われ、小さいながら伝道

のまね事のようなことを始めた1960年代に比べると、海外宣教の働きを終え

て帰国し、長崎県佐世保市界隈で開拓伝道を始めた1990年代以降は、さらに

一段と伝道が困難になっているように感じます。特に地方の伝道は閉塞状態

と言ってよいほどです。これは、佐世保市の牧師会で話し合ってみたり、長

崎・佐賀地域の教会を一瞥してみたりするだけでも痛切に感じます。地方伝

道の閉塞状態の理由のひとつは、日本の社会構造が変わり地方に生活基盤が

なくなってしまったことだと考えられます。地方には仕事がなくなってしま

ったのです。どんどん人口が流失し、伝道と教会形成に不利な状態を作り出

しているのです。人口流失は地域の貧困をますます加速化し、残された人々

の保守的傾向を強めさせ、キリスト教に対する反感をさらに露わにしていま

す。



  都会伝道にしても、かなりの閉塞感があるように思われます。しっかり

と成長している教会は多くはありません。たしかに数百人から千人もの日曜

礼拝出席者を持つ教会もありますが、そのような教会に信徒を奪われ、青息

吐息の教会も少なくありません。日本の宣教という観点からすると、いくつ

ものポケットにばらばらに入れられていた小銭をひとつのポケットにまとめ

たようなもので、所持金自体が増えたわけではないのです。むしろ、入れ替

え作業中にこぼれた小銭もかなりあるように聞いています。




  このエッセイは、このような日本の現状を認めたうえで、私たちに何が

できるかを探るものです。




T. 作り上げられた反キリスト教感情  


  日本は文化的にも、個人の感情の上でも反キリスト教的です。細かい分

析を待たなくても、この事実は他の国々のキリスト教信仰の受容と比較して

みるだけで明らかです。まずこのことをしっかりと把握することが重要だと

考えるものです。




  筆者は先のエッセイ「日本人とキリスト教」の中で、その事実を近代日

本の歴史過程の中で明らかにしました。要約すると、日本という国はこれま

で400年以上にわたって、西欧キリスト教諸国の植民地政策の手先としての

キリスト教を、強く警戒してきたということです。そのような警戒心がまだ

無かった当時のカトリックの伝播の急激さ、つまり、日本人のキリスト教受

容の速さには目を見張るものがありました。カトリック信徒の増加は、宣教

開始後わずか50年、1600年の時点で30万人、それから15年で65万人に上る

のです。




  ところが秀吉の晩年から徳川幕府の終焉に至るまで、カトリック・キリ

スト教はポルトガルとスペインの植民地政策の手先と考えられて、徹底的に

弾圧され壊滅に至りました。仏教を利用した270年以上にわたるこの激しい

弾圧と禁制によって、一般民衆の中には、キリスト教に対する強烈な恐れと

深い疑惑が植えつけられ、まさに「触らぬ神に祟りなし」になってしまいま

した。それは地域社会の中からも、日本人の心理からも容易に拭い去ること

ができないものとして残ったのです。もちろんカトリック弾圧は、ポルトガ

ルやスペインが当時の世界で行っていた残虐非道な植民地政策を理解するな

らば、むしろ正当化されるものだったと考えるべきです。日本に渡来する直

前、彼らは中南米のほとんどを植民地化し、数え切れないほどの人々を殺し

婦女子を強姦し、多くの財宝を奪ったたばかりか、いくつもの民族を文字通

り滅亡させているのです。その「カトリック国の魔手」はすでにフィリピン

を植民地化して、日本に迫ろうとしていたのです。



  だからといって、迫害に耐えた多くの日本人カトリック信徒の、信仰の

崇高さと美しさを疑うものではありません。ちょうど今年は187人の殉教者

の列福式が、3万人の人々を集めて盛大に行なわれましたが、それに伴って、

日本カトリック司教協議会が出版した「列福をひかえ、ともに祈る7週間」と

いう小冊子には、いくつもの感動的な殉教者の物語が載せられています。キ

リスト教に限らず、殉教者の姿には胸を打つものがたくさんあります。ただ

しその小冊子に記されている迫害の原因についての認識は、偏っていると言

わざるを得ません。次のような一節があります。(列福式=カトリック教会

が聖人に次ぐ功績者として死者を認める儀式)




  「当時の宣教師も、迫害の原因は、日本という国が掲げる『国是』とキ

リスト教が掲げる唯一絶対の神への信仰とが合わないことにあるとわかって

いました。キリシタン時代為政者が考えていた『国是』とは仏教、儒教、神

道を根幹とする伝統文化に基づく神国日本というものでした。この神国を形

作る文化の土壌を脅かすいかなるものをも排除することが、為政者の努めで

あると考えられていました。こうしてキリスト教は、国是に絶対に合わない

外国の宗教として排除されました。」




  ここにはカトリックが、好むと好まざるとにかかわらず、スペインやポ

ルトガルの手先となっていたという、歴史的事実が隠蔽されています。カト

リックに先導されるような形で到来した、スペインやポルトガルの侵略者た

ちの前で、日本のカトリック殉教者たちにも劣らない、純真で英雄的な死を

遂げた異教徒たちがたくさんいたのです。また、カトリックはいつも国家権

力と手を結びたがってきたという事実認識も欠けています。日本は、仏教や

神道を根幹とする伝統文化に基づく神国日本を建設しようとした事はありま

せん。(よくいわれる、聖徳太子が仏教をもって国造りをしようとしたとい

う見解は、17条憲法を間違って理解したところから来たと思われます。17条

憲法は国家作りの理念ではなく、臣民の就労道徳を綴ったものです) むし

ろ、カトリック植民地主義国の侵略を防ぐために、仏教を利用し、神道を悪

用したと言うのが正しいのです。ですから、日本のカトリック殉教者は、た

とえ日本の為政者によって迫害されたとしても、その迫害の基を作ったのは、

本来の純粋なキリスト教信仰を国家権力と結び付けたうえ、植民地主義の手

先となって恥じなかったカトリック教会自身にあるのです。もしも、カトリ

ックの信仰自体に日本の為政者たちが脅威を感じたとするなら、それはむし

ろ日本という国が長い間、公家と武家という二つの勢力の微妙なバランスの

上に立ってきたという、歴史的事実にかかわるでしょう。この微妙なバラン

スの上に絶対神に対する絶対の信仰が加わってくると、非常に難しい問題が

起こることが充分に考えられたからです。



☆        ☆         ☆         ☆                
 
  少々横道にずれましたので、本題に戻りましょう。明治時代に至って信

教の自由が保障され、プロテスタント・キリスト教の宣教も公に認められる

ようになりましたが、日本政府は徹底してキリスト教を嫌い、和魂洋才を国

是として、西欧キリスト教に代わる日本人の精神的支柱として国家神道を打

ち立てました。明治政府がキリスト教を嫌ったのも、やはり西欧諸国の植民

地政策、侵略競争にありました。比較的日本に近いアジア諸国を取り上げて

見るだけでも、植民地政策の脅威は明らかです。イギリスはすでにパキスタ

ン、インド、バングラディッシュ、ビルマ、マレーシアなどを植民地とし、

しばらく無理難題を押し付けていた中国に対しては、ついに、アヘン戦争を

勃発させて事実上の植民地にしたうえ、香港を手中におさめていました。当

時すでに力を失っていたとはいえ、ポルトガルは、イギリスが香港を奪った

直後、マカオを奪っていました。




  フランスはベトナム、カンボジア、ラオスなど、インドシナ地域を植民

地化し、オランダはインドネシアを取って過酷な植民地政策を推し進めてい

ました。そしてこれらの国々は、いたるところで覇権を争って政略と地域的

紛争をくり返しながら、日本をも植民地にしようと、下心をもって接触を図

ってきていたわけです。イギリスは生麦事件とそれに続く薩英戦争で実際に

日本を脅かしていました。少し毛色の違ったキリスト教国のロシアは、不凍

港を求めて南下政策を推し進め、開国直前の1861年には、一時的であったと

しても対馬を占領していました。それ以前からカラフトや千島に侵入し、北

海道からの侵略を虎視眈々と狙っていたのです。実際に1875年、日本はロシ

アとの交渉でカラフトを失っています。このころ、日本が植民地化されなか

ったのはさまざまな要因があったとはいえ、植民地とする意図を持っていな

かったアメリカが最初に日本と接触し、いわば、「つばつけた」の形で、他

の西欧諸国の無茶な介入を許さなかったことが最も大きな理由だったと考え

られます。




  しかし、そのアメリカでさえ、世界中で植民地政策を進めていたのです。

少し後のことですが、スペインへのレジスタンス運動を盛んにしていたフィ

リピンは、スペインを破ったアメリカによる植民地化を嫌い、明治政府に助

けを求めてきた事実もあるのです。反米レジスタンスの英雄アギナルド将軍

の要請に対し、伊藤博文は船一杯の武器を提供しています。(これはフィリ

ピンに到着しなかったと記憶していますが) アメリカはすでに、現在のテ

キサスやカリフォルニアを含む、中南部の広大な土地をメキシコから略奪し

ようと血眼になり、それに成功していました。ハワイはこのアメリカの植民

地化を嫌い、日本の皇室とハワイ王家の婚姻関係を願い出たほどです。1898

年になると、ドイツは中国山東省で殺された二人の宣教師のための報復とし

て、まず青島を制圧し、膠州湾沿岸を事実上の植民地にしました。宣教師の

死が植民地化の口実とされたのです。このようなことを具体的に取り上げだ

すと、それこそ切がありません。世界中の強国が植民地政策を展開していた

時期なのです。




  ですから、日本人指導者のキリスト教国の植民地主義に対する恐れと疑

念は正当であり、明治政府がキリスト教禁制を継続したいと願っていたのは

明らかです。西欧諸国の強い要望により、キリスト教禁制は廃止せざるを得

なくなりましたが、キリスト教に対する根深い警戒心は、日本国家の指導者

たちの中にも一般民衆の中にも色濃く残り、平田篤胤たちの思想を取り入れ

た国家神道の設立と強化となったのです。神道には、もともと系統立てるほ

どの神学があったわけではありません。それでこのとき参考にされたのがキ

リスト教の神学でした。明治政府は「擬似キリスト教」でキリスト教を阻止

しようとしたわけです。それは、徳川時代にキリスト教禁制の組織力として

用いられてきた、仏教さえ排除しようとしたほど強い運動でした。いわゆる

廃仏毀釈です。皇国のために死んだ兵士たちを祭るために、明治初期から全

国各地で建てられた招魂社(後に護国神社)などにも、その精神的高揚が良

く現れています。そのような精神土壌の中で、プロテスタント宣教が行われ

てきたのです。




  明治以降のキリスト教宣教には、カトリック・プロテスタントを問わず、

日本人の強い反キリスト教感情を和らげるものもありましたが、むしろその

感情を逆なでし、キリスト教に対する悪感情をさらに強固にさせるものも少

なくありませんでした。和らげたのは献身的な宣教師たちの姿と愛の業です。

特に教育や社会福祉、あるいは医療の分野でのキリスト教の大きな貢献は、

多くの日本人が認めるところです。しかし宣教という見地から見ると、明治

以降のプロテスタント宣教は、長い間に培われてきた日本人の反キリスト教

感情を和らげるのに成功したとは言いがたく、かえって増大させてきたとさ

え考えられます。それは主に、白人宣教師たちの民族的優越感と文化的押し

つけによるものと言えるでしょう。




☆       ☆        ☆         ☆


  日本人には思いもよらないことですが、ヨーロッパの人々にとって、日

本はインドの一部だったのです。現在はインドという国がありますが、ヨー

ロッパの白人たちにとってインドとは、ヨーロッパと地中海沿岸を除くすべ

ての地域であって、現在のインドに止まるものではありませんでした。(東

インド会社という世界最初の株式会社がイギリスにありましたが、現代のイ

ンドだけで活動したのではありません。また、おなじ名前の会社はスカンジ

ナビアの国々にもありました)) ですからアメリカでさえ当初は「西側の

インド」であり、そこに住んでいた原住民は、アメリカのインド人、すなわ

ちアメリカン・インディアンだったのです。(日本語ではたぶん、「土人」

という差別用語あるいは卑語が、インド人に近い言葉でしょう)




  福沢諭吉が言ったという「天は人の上に人を造らず」という言葉も、も

ともとはアメリカ大統領だったジェファーソンが起草した、独立宣言の中に

あった人権宣言にあたるものですが、その人権宣言の人権が及ぶのはいわゆ

るWASP(ホワイト・アングローサクソン・プロテスタント)を初めとす

る、ヨーロッパ北部からの移民の子孫たちだけで、おなじ白人でもヨーロッ

パ南部の人々は含まれなかったのです。当然、黒人はこの中に含まれていま

せん。奴隷解放が行われた後も差別は歴然として残り、黒人が公民権を得た

のは人権宣言が起草されて190年もたった、1964年のことです。アメリカ・

インディアンは騙され、土地を奪われ、殺され、狭い居住地に追い込まれて、

現在はほんのわずかの人々が生き残っているだけです。中南米諸国の人々も

アジアの人々も、有色人種はこの人権宣言には含まれていなかったのです。




  かつて多くの子供たちに愛された「ちびくろサンボ」という絵本は、人

種差別であると槍玉に挙げられ、今はもう書店でも図書館でも見ることはで

きなくなったと思いますが、あの絵本に表現されていたような、天真爛漫な

(?)宣教師たちの人種差別がいたるところにあったのです。(実際に図書

館に行って調べて見たところ、20年ほど前に復権したとのことで、置いて

ありました) 多くの場合、宣教師たちの善意は疑いもなく正真のものでし

たが、正真であるがゆえに、宣教師自身が気づいていない優越感に裏打ちさ

れた宣教は、多くの場所で拒絶されたのです。




  西欧人の人種的優越感をさらに助長したのが文化的優越感でした。近代

宣教の二大勢力であったイギリスとアメリカの宣教師たちは、自分たちの福

音宣教の使命感と共に、文化的使命感というべきものを持っていました。そ

れは自分たちの文化こそキリスト教文化であるという確信と、このキリスト

教文化をすべての国に広めて行かなければならないという信念でした。です

から、彼らは宣教地の文化を非キリスト教文化として蔑み、宣教的熱心さで

排斥したのです。彼らにとって大切だったのは、宣教地の文化を理解しよう

とすることではなく、ましてや受け容れることでもなく、批判し攻撃し取り

除き、キリスト教文化だと思い込んでいた自分たちの文化を、無理やりに押

しつけて行くことでした。



  まだ国家としても民族としてもまとまっておらず、さまざまな部族が渾

然とした中に生きたまま、自分たちの文化や生活様式に対する理解も愛着も

アイデンテティもあまり持っていなかった人々、あるいはそのようなものの

芽生えがあったとしても、大した価値も認めていなかった人々ならば、西欧

「キリスト教文化」の優越さを認めて取り入れ、自分たちの生活様式や文化

を容易に捨てることもできたことでしょう。ところが開国当時の日本人は、

たとえ未発達とはいえかなり強固な国家観を持ち、自分たちの文化にたいし

ては深い理解と強い愛着をもって、その価値を高く評価していたのです。そ

のため、欧米の宣教師たちの文化に対する無配慮の攻撃に強い懸念を抱くと

共に、西欧宣教師の善意の背後に潜む優越感と差別意識を嗅ぎとって、激し

く嫌悪したのです。その懸念と嫌悪は、徳川時代を通して日本人の潜在意識

に浸透していた、キリスト教に対する恐れと不信感を呼び覚まし、その恐れ

と不信感を正当なものであると納得させてしまったのです。



  最近でこそ少なくなりましたが、一昔前までは、「文化などというもの

をいちいち論じる必要はない。あるのは唯一キリスト教文化だ」などと言っ

てはばからない宣教師がたくさんいたものです。そのじつ、彼らのキリスト

教文化なるものは、まったく聖書からかけ離れた勝手気ままな一人よがりの

主張、自分たちの文化そのものの、あるときにははなはだ非聖書的な文化の

擁護に過ぎない場合が多かったものです。筆者もそのような宣教師たちと随

分議論したものです。最近は少なくなったと言いましたが、本当のところ、

先週もその類の宣教師と激論を交わしてきたばかりです。このような宣教師

の背後には、アウグスチヌス以来の神の国の思想があったことも知らなけれ

ばなりません。すなわち、国家とひとつとなって支配者の立場にいたキリス

ト教は、軍事力をもってでも世界をキリスト教化し、キリスト教文化を作り

上げることによって神の国を建設し、キリストの再臨に備えると考えたので

す。あの十字軍の時代の考え方と同じです。




  このようにして、明治時代からの宣教師たちの大部分は、民族的優越感

をもって、自分たちの国と文化に都合が良いように解釈されたキリスト教を

宣伝しただけではなく、宣教地の文化を非キリスト教文化、異教文化として

排斥し、自分たちの文化を一方的に押し付け続けてきたのです。宣教地の文

化を敵に回し、これを滅ぼすことこそ自分たちの使命であるかのように振舞

ってきたのです。このような宣教師の態度に変化が見え始めたのは、宣教論

の中で文化的相対性が言われるようになった、つい最近の出来事です。日本

では、戦後の親切なアメリカ人を見て、キリスト教に対する態度も随分変わ

り始めました。しかしその後になってさえ、宣教地の人々と文化に対する欧

米人宣教師たちの、善意に満ちていながら高圧的で非寛容な態度は変わらな

いまま続いたのです。日本に民主主義をもたらした戦後の善良で親切な欧米

人と、民主主義の尖兵のようなことを言いながら横柄で高飛車な宣教師とい

う、二つのイメージがひしゃげて重なったのです。

  


  個人的には優しく親切な西欧宣教師の、日本文化に対する高飛車で無礼

な態度、無理解な一方的な押し付けや批判、あるいは敵対的言動はあらゆる

方面に及びましたが、日本人はその背後に、彼らの日本人に対する優越感や

人種差別を見て取っているのです。日本人を同等の人間としてみているなら

ば、その文化に対してもそのように無理解で高飛車な態度は取らないと感じ

るからです。この点に関しては、日本人のみならず、多くのアジア人、アフ

リカ人、あるいはラテン・アメリカ人の間でも、すなわち「すべてのインド

人」の間でも共通の認識といえるでしょう。ただし、日本人もまた、一方で

は西欧に対する劣等感にさいなまれながら、ほかのアジア諸国の人々を差別

し続けてきたことも、忘れてはならないでしょう。


                         つづく            










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日本人とキリスト教 (4)



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宗教を利用する実利主義


  もともと日本人は非常に実利主義な民族でした。「善悪」の問題よりも、

自分たちに都合が善いかどうか、益になるかどうかで、物事を判断したので

す。したがって、宗教のために命を賭けるという意識は、ほかの民族に比べ

ると非常に薄いといわねばなりません。一向一揆や島原の乱は、日本人には

例外的な出来事です。日本人はむしろ、宗教を利用してきたのです。宗教は

自分の命を賭けるものではなく、宗教が人間の幸せのために貢献すべきもの、

神も仏も、自分たちの都合のために仕えるものと理解してきたのです。それ

は日本の歴史を見ると明らかです。仏教が取り入れられたとき、蘇我と物部

が争いましたが、ここでも実利が重んじられました。キリシタン迫害のため

には仏教が最大限に利用されました。明治になると仏教が排斥されて神道が

利用されました。このような宗教的ご都合主義は日本人の感情の中に深く浸

み込んでいます。ですから、一般の日本人は、キリスト教が正しいか、真実

かということで取捨選択をすることはまずありません。自分にとって、ある

いは自分の属する社会にとって益になるかどうかで判断するのです。 




   和魂洋才


  明治になって日本が開国したときも、徹底した実利主義が明治の指導者

たちの哲学でした。自分たちの新生国家にとって益となるものは何でも学び、

取り入れようとしました。西洋の才能を益になると判断し選択したのです。

しかし、魂はあくまでも日本のたましいを守り、西洋の精神、すなわちキリ

スト教は徹底して排除しようとしたのです。西欧諸国の様子を学んだ人々は、

キリスト教がそれらの国々の精神的支柱となっていることを簡単に見抜きま

した。そして日本にもそのような精神的支柱となりえる宗教が必要であると

考えたのです。しかし彼らは、キリスト教は選びませんでした。キリスト教

は日本国にとって益にはならないと判断し、キリスト教に代わるものを探し

たのです。彼らは、仏教では西欧キリスト教に太刀打ちできないと見抜きま

した。そこで取り入れたのが、本居宣長や平田篤胤によって提唱された復古

神道です。



  本居宣長の考えをさらに突き詰めた平田篤胤は、日本の精神的支えとな

るのは神道であると考え、記紀(古事記と日本書紀)の神話を体系的にまと

めたものを作り上げようとしました。そのとき特に参考にしたのが、まだご

禁制であったキリスト教文書だったのです。明治の指導者たちは、西欧のキ

リスト教を排斥し、キリスト教に太刀打ちできる精神的支柱として、キリス

ト教を参考に作り上げた復古神道を持ち出したのです。こうして復古神道は

国家神道となり、天皇が祀り上げられるようになりました。そして徳川時代

に反キリスト教政策として優遇されてきた仏教は退けられ、激しい廃仏毀釈

運動が起こり、多くの寺が破壊され、僧侶たちも職を追われたのです。 




   明治政府の対キリスト教感情


  明治の指導者たちは、キリスト教に対して複雑な感情を抱いていました。

一方では、進んだ西欧を作り上た精神的支柱として高く評価しながら、絶対

に取り入れたくないと考えたのです。ですから、明治になってもキリシタン

禁制は堅持され、キリシタン狩りは続けられていたのです。キリスト教に対

するマイナスの判断はまた当然のものでした。当時の日本を取り巻いていた

状況は、まさに危機的だったのです。その危機をもたらしていたのは、植民

地主義の頂点にあった西欧キリスト教諸国でした。明治に移ろうとしていた

日本に危機感を抱かせたのは、300年前のカトリック伝来のときと同じ、

西欧の植民地政策だったのです。植民地政策を推し進めていた「西欧キリス

ト教国」の主力は、すでに、ポルトガルやスペインというカトリック国から、

イギリスやオランダなどのプロテスタント諸国に変わっていたとは言え、フ

ランスやベルギーなどのカトリック国の植民地政策も続いていました。とく

にイギリスとフランスは世界中で植民地獲得を競い、いたるところで幾度も

戦いを繰り返していましたが、それがアジアにも持ち込まれていました。最

後まで独立を保った稀有な国タイは、このイギリスとフランスの力関係を微

妙に利用しながら、それを成し遂げたのです。
 



  日本にとってもっとも脅威だったのはイギリスでした。明治の直前、イ

ギリスは理不尽なアヘン戦争を起こして、事実上中国を植民地化するのに成

功していました。そのイギリスが、生麦事件をきっかけに日本に対する触手

をさらにのばし、薩英戦争の勃発にいたりました。このときは、イギリス艦

隊の油断から薩摩を打ち破ることができずに、和平交渉にいたったため、イ

ギリスの野望はひとまず頓挫してしまいましたが、西欧キリスト教国の植民

地主義政策は日本にとって脅威であり続けました。キリシタン禁止令は諸外

国の激しい抗議に遭い、やむを得ず撤回するはめになり、信教の自由を謳う

ようになりましたが、キリスト教に対する恐怖と疑念は、国家神道の徹底と

いう結果を生み出したのです。




  事実、明治になってまもなく、フランスはインドシナ半島と中国の一部

を植民地化していますし、比較的穏やかで、日本を植民地化する意図を持っ

ていなかったアメリカにも、油断はできませんでした。アメリカはメキシコ

をだましてカリフォルニアやテキサスをはじめ、南部の広大な地域を奪い取

り、南太平洋の島々を支配し、フィリッピンを奪っています。アメリカの植

民地政策を恐れたハワイの王様は、日本政府に救援を求めたほどです。その

手段として、王の妹を天皇家に嫁入りさせ、ハワイを日本領土とするという

提案だったのですが、日本側がときいたらずと断っているのです。明治の初

期に日本が植民地化されなかったのには、さまざまな幸運が重なったといえ

ますが、中でも、日本の植民地化という意図を持っていなかったアメリカが、

最初に日本に接触したという事実があったからだと思われます。




  こうして、日本にとってキリスト教は、崇高な理念の宗教というより、

西欧植民地主義国の宗教であり続けたのです。崇高な教えと理解し始めたの

は、明治に至り、多くの外国人、特に宣教師たちが植民地主義とは離れて、

キリスト教宣教のために来日し、聖書の教えを広め、学校や病院の社会事業

や孤児院などの慈善事業を始めたからです。




   日本人の恐れを事実と化した宣教師たち                


  ところが、300年近くにわたって育てられた一般日本人のキリスト教

に対する恐れは、宣教師たちの高圧的な態度によって事実として証明されて

しまいました。多くの宣教師はキリスト教こそ唯一の宗教であるべきだとい

う信念と熱心さで、在来のあらゆる宗教を敵視し、激しく攻撃しました。ま

た、日本の生活習慣、文化そのものが神道や仏教の伝統を背景にしたもので

あるために、日本の文化にも敵対的な態度を持っていました。そして、自分

たちの「キリスト教文化」を絶対に善であり正しいものとして、日本人に押

し付けようとしました。また、多くの宣教師はごく自然に人種的優越感も持

っていました。そのためにしばしば横柄な態度となり、よくてもパターナリ

ズムに陥っていたのです。要するに文化に対する理解が少なく、高圧的、あ

るいは敵対的であったために、もともとキリスト教に恐れを抱いていた一般

大衆には、このような欧米宣教師たちのすがたに、恐ろしいキリスト教の姿

を見たのです。大衆がキリスト教を受け入れることは、非常に難しかったの

です。



  多くの場合、クリスチャンであるためには、ある程度日本人の文化や生

活習慣を犠牲にして、西欧諸国の生活習慣を受け入れなければなりませんで

した。それはとりもなおさず、日本の文化の中で和を持って生きようとして

いる日本人の生活に、不協和音を持ち込むことでした。クリスチャンになる

と、日本で社会生活をすることが困難になったのです。うそもつかずに清く

正しく生きようとするクリスチャンでしたが、自分たちの家族や親戚、ある

いは会社や隣組の中にいてもらうと、大変迷惑な存在になったのです。




  善悪の善ではなく、自分たちに都合の善いという善を大切にしながら、

和を尊ぶ共同体感覚で、みんなで一緒に生きようという日本人の感覚は、絶

対の善悪を論じ、すぐに白黒で判断しながら個人の尊厳を謳い、個人の自由

を最優先にして社会の混乱も恐れない、西欧的キリスト教と激しくぶつかっ

たのです。こうして日本のキリスト教は、一般大衆レベルでも「反社会的宗

教」とみなされるようになったのです。とくに、地蔵さんを海に捨て、仏壇

を焼き、神棚を打ち壊し、仏教式の葬式には参列せず、地域行事にも加わら

ない敵対的キリスト教は、クリスチャン一人を作るごとに、絶対にクリスチ

ャンにはらないぞと決心する人たちを、大勢作り上げてきたのです。


                      おわり










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2010年10月17日

日本人とキリスト教 (3)


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   宗教を利用する実利主義

  もともと日本人は非常に実利主義な民族でした。「善悪」の問題よりも、

自分たちに都合が善いかどうか、益になるかどうかで、物事を判断したので

す。したがって、宗教のために命を賭けるという意識は、ほかの民族に比べ

ると非常に薄いといわねばなりません。一向一揆や島原の乱は、日本人には

例外的な出来事です。日本人はむしろ、宗教を利用してきたのです。宗教は

自分の命を賭けるものではなく、宗教が人間の幸せのために貢献すべきもの、

神も仏も、自分たちの都合のために仕えるものと理解してきたのです。それ

は日本の歴史を見ると明らかです。仏教が取り入れられたとき、蘇我と物部

が争いましたが、ここでも実利が重んじられました。キリシタン迫害のため

には仏教が最大限に利用されました。明治になると仏教が排斥されて神道が

利用されました。このような宗教的ご都合主義は日本人の感情の中に深く浸

み込んでいます。ですから、一般の日本人は、キリスト教が正しいか、真実

かということで取捨選択をすることはまずありません。自分にとって、ある

いは自分の属する社会にとって益になるかどうかで判断するのです。 





   和魂洋才


  明治になって日本が開国したときも、徹底した実利主義が明治の指導者

たちの哲学でした。自分たちの新生国家にとって益となるものは何でも学び、

取り入れようとしました。西洋の才能を益になると判断し選択したのです。

しかし、魂はあくまでも日本のたましいを守り、西洋の精神、すなわちキリ

スト教は徹底して排除しようとしたのです。西欧諸国の様子を学んだ人々は、

キリスト教がそれらの国々の精神的支柱となっていることを簡単に見抜きま

した。そして日本にもそのような精神的支柱となりえる宗教が必要であると

考えたのです。しかし彼らは、キリスト教は選びませんでした。キリスト教

は日本国にとって益にはならないと判断し、キリスト教に代わるものを探し

たのです。彼らは、仏教では西欧キリスト教に太刀打ちできないと見抜きま

した。そこで取り入れたのが、本居宣長や平田篤胤によって提唱された復古

神道です。




  本居宣長の考えをさらに突き詰めた平田篤胤は、日本の精神的支えとな

るのは神道であると考え、記紀(古事記と日本書紀)の神話を体系的にまと

めたものを作り上げようとしました。そのとき特に参考にしたのが、まだご

禁制であったキリスト教文書だったのです。明治の指導者たちは、西欧のキ

リスト教を排斥し、キリスト教に太刀打ちできる精神的支柱として、キリス

ト教を参考に作り上げた復古神道を持ち出したのです。こうして復古神道は

国家神道となり、天皇が祀り上げられるようになりました。そして徳川時代

に反キリスト教政策として優遇されてきた仏教は退けられ、激しい廃仏毀釈

運動が起こり、多くの寺が破壊され、僧侶たちも職を追われたのです。 





   明治政府の対キリスト教感情


  明治の指導者たちは、キリスト教に対して複雑な感情を抱いていました。

一方では、進んだ西欧を作り上た精神的支柱として高く評価しながら、絶対

に取り入れたくないと考えたのです。ですから、明治になってもキリシタン

禁制は堅持され、キリシタン狩りは続けられていたのです。キリスト教に対

するマイナスの判断はまた当然のものでした。当時の日本を取り巻いていた

状況は、まさに危機的だったのです。その危機をもたらしていたのは、植民

地主義の頂点にあった西欧キリスト教諸国でした。明治に移ろうとしていた

日本に危機感を抱かせたのは、300年前のカトリック伝来のときと同じ、

西欧の植民地政策だったのです。植民地政策を推し進めていた「西欧キリス

ト教国」の主力は、すでに、ポルトガルやスペインというカトリック国から、

イギリスやオランダなどのプロテスタント諸国に変わっていたとは言え、フ

ランスやベルギーなどのカトリック国の植民地政策も続いていました。とく

にイギリスとフランスは世界中で植民地獲得を競い、いたるところで幾度も

戦いを繰り返していましたが、それがアジアにも持ち込まれていました。最

後まで独立を保った稀有な国タイは、このイギリスとフランスの力関係を微

妙に利用しながら、それを成し遂げたのです。
 


  日本にとってもっとも脅威だったのはイギリスでした。明治の直前、イ

ギリスは理不尽なアヘン戦争を起こして、事実上中国を植民地化するのに成

功していました。そのイギリスが、生麦事件をきっかけに日本に対する触手

をさらにのばし、薩英戦争の勃発にいたりました。このときは、イギリス艦

隊の油断から薩摩を打ち破ることができずに、和平交渉にいたったため、イ

ギリスの野望はひとまず頓挫してしまいましたが、西欧キリスト教国の植民

地主義政策は日本にとって脅威であり続けました。キリシタン禁止令は諸外

国の激しい抗議に遭い、やむを得ず撤回するはめになり、信教の自由を謳う

ようになりましたが、キリスト教に対する恐怖と疑念は、国家神道の徹底と

いう結果を生み出したのです。




  事実、明治になってまもなく、フランスはインドシナ半島と中国の一部

を植民地化していますし、比較的穏やかで、日本を植民地化する意図を持っ

ていなかったアメリカにも、油断はできませんでした。アメリカはメキシコ

をだましてカリフォルニアやテキサスをはじめ、南部の広大な地域を奪い取

り、南太平洋の島々を支配し、フィリッピンを奪っています。アメリカの植

民地政策を恐れたハワイの王様は、日本政府に救援を求めたほどです。その

手段として、王の妹を天皇家に嫁入りさせ、ハワイを日本領土とするという

提案だったのですが、日本側がときいたらずと断っているのです。明治の初

期に日本が植民地化されなかったのには、さまざまな幸運が重なったといえ

ますが、中でも、日本の植民地化という意図を持っていなかったアメリカが、

最初に日本に接触したという事実があったからだと思われます。




  こうして、日本にとってキリスト教は、崇高な理念の宗教というより、

西欧植民地主義国の宗教であり続けたのです。崇高な教えと理解し始めたの

は、明治に至り、多くの外国人、特に宣教師たちが植民地主義とは離れて、

キリスト教宣教のために来日し、聖書の教えを広め、学校や病院の社会事業

や孤児院などの慈善事業を始めたからです。


 


   日本人の恐れを事実と化した宣教師たち                


  ところが、300年近くにわたって育てられた一般日本人のキリスト教

に対する恐れは、宣教師たちの高圧的な態度によって事実として証明されて

しまいました。多くの宣教師はキリスト教こそ唯一の宗教であるべきだとい

う信念と熱心さで、在来のあらゆる宗教を敵視し、激しく攻撃しました。ま

た、日本の生活習慣、文化そのものが神道や仏教の伝統を背景にしたもので

あるために、日本の文化にも敵対的な態度を持っていました。そして、自分

たちの「キリスト教文化」を絶対に善であり正しいものとして、日本人に押

し付けようとしました。また、多くの宣教師はごく自然に人種的優越感も持

っていました。そのためにしばしば横柄な態度となり、よくてもパターナリ

ズムに陥っていたのです。要するに文化に対する理解が少なく、高圧的、あ

るいは敵対的であったために、もともとキリスト教に恐れを抱いていた一般

大衆には、このような欧米宣教師たちのすがたに、恐ろしいキリスト教の姿

を見たのです。大衆がキリスト教を受け入れることは、非常に難しかったの

です。



  多くの場合、クリスチャンであるためには、ある程度日本人の文化や生

活習慣を犠牲にして、西欧諸国の生活習慣を受け入れなければなりませんで

した。それはとりもなおさず、日本の文化の中で和を持って生きようとして

いる日本人の生活に、不協和音を持ち込むことでした。クリスチャンになる

と、日本で社会生活をすることが困難になったのです。うそもつかずに清く

正しく生きようとするクリスチャンでしたが、自分たちの家族や親戚、ある

いは会社や隣組の中にいてもらうと、大変迷惑な存在になったのです。




  善悪の善ではなく、自分たちに都合の善いという善を大切にしながら、

和を尊ぶ共同体感覚で、みんなで一緒に生きようという日本人の感覚は、絶

対の善悪を論じ、すぐに白黒で判断しながら個人の尊厳を謳い、個人の自由

を最優先にして社会の混乱も恐れない、西欧的キリスト教と激しくぶつかっ

たのです。こうして日本のキリスト教は、一般大衆レベルでも「反社会的宗

教」とみなされるようになったのです。とくに、地蔵さんを海に捨て、仏壇

を焼き、神棚を打ち壊し、仏教式の葬式には参列せず、地域行事にも加わら

ない敵対的キリスト教は、クリスチャン一人を作るごとに、絶対にクリスチ

ャンにはらないぞと決心する人たちを、大勢作り上げてきたのです。


                        つづく  










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2010年10月16日

日本人とキリスト教 (2)


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   植民地化の危険性は実在したか

  カトリック国の植民地政策を警戒して鎖国とキリシタン迫害が行われた

のですが、果たして植民地化の危険性は本当にあったのでしょうか。これは

当時のポルトガル、あるいはスペインが世界で行っていたことを知れば、家

康の空想であったと言うことはできません。スペインは現在のカリフォルニ

アから南の、ほとんどの中南米諸国を植民地としていました。その残虐非道

さは筆舌に尽くしがたいものです。インカ帝国は完全に滅ぼされてしまいま

した。アステカ文明も消滅してしまいました。スペインが植民地にできなか

った唯一の国ブラジルは、ポルトガルのものになりました。日本の近くでは、

フィリピンがすでにスペインの植民地となり、スペイン王フィリップの名が

つけられていました。




  カウンター・プロテスタント運動であるイエズス会の指導者だったフラ

ンシスコ・ザビエルや、後任者のルイス・フロイスなどは、純粋な宣教的情

熱で日本の伝道を試みたようですが、ほかの修道会に属するものたちは明ら

かにポルトガルやスペインの手先としてきていました。そのために、ザビエ

ルもフロイスもよく似たことをしています。彼らがバチカンに送った手紙に

は、日本国民の優秀さが賞賛され、これほどの民族はほかにいない、ぜひと

もこの民族をカトリック化すべきだと書かれていましたが、ポルトガルやス

ペイン王に宛てた手紙では、日本民族は野蛮で怠け者でどうしょうもないや

からで、おまけに国は貧しい。このような国を植民地化しても何の益もない

ばかりか、大損をすることになると報告されているのです。彼らは、明らか

にポルトガルやスペインの植民地政策が日本にも及ぶことを危惧し、それを

阻止しようとしていたのです。

  


  さらに、カトリックの信仰を受け入れた大名たちの中には、カトリック

信仰を擁護するために神社仏閣を破壊する者が現れたり、領地をポルトガル

王に献上しようとする者まで現れていたのです。事実、キリシタンたちの間

には、ポルトガルの来日を夢見るものが多くいたと思われます。島原の乱で

原城に篭城した2万5千人及んだと言われるカトリック信徒たちは、ポルト

ガルの救援を待ち望みながら死んで行ったのです。





  ですから、もしもこのとき鎖国が行われず、キリシタン迫害がなかった

とするならば、日本はカトリック化し、ポルトガルかスペインの植民地とな

っていた可能性がとても高いのです。すると日本は彼らに植民地化された国

々が味わった辛酸を味わわなければならず、私たちが今享受している繁栄も

夢のまた夢に終わっていたはずです。日本のカトリック信徒が辛酸な迫害を

耐えていたちょうどそのとき、中南米の国々では、カトリックの侵略による

植民地化の苦境を耐えていた人々が大勢いたのです。どちらがより苦しんだ

かはわかりませんが、死者の数だけを取り上げるならば、日本で殺されたカ

トリック信徒より、カトリック信仰の人々が殺した中南米をはじめとする植

民地の人々のほうが、圧倒的に多かったのです。
 



  (なお、反キリスト教感情とは直接の関わりはありませんが、このカト

リック国の植民地政策が、日本の為政者を植民地主義に駆り立てたことも、

付記しておかなければなりません。特に、今回のラブソナタが韓国の教会の

日本に対する働きかけとして行われているところから、この点も大切です。

カトリックの宣教師たちから、世界中の国々で展開されていた植民政策につ

いて聞きおよんでいた秀吉は、日本がカトリック国の植民地政策に対抗する

ために、自らも植民地政策に乗り出そうとしたのです。それが秀吉による朝

鮮侵略です。もちろん、秀吉自身の野望の実現と言う一面も否定できません。

日本を統治した秀吉はそれだけでは満足できず、中国の支配を夢見て始めた

のがこの侵略でした。その夢を具体的に遂行する大義名分が、カトリック国

の植民地政策だったと思われます。直接中国に兵を出すほどの水軍力を持っ

ていなかった秀吉は、朝鮮の先導によって中国に攻め込もうとしたのですが、

朝鮮がこれに応じなかったために、まず朝鮮を統治しようとして侵略したの

です。それまで、かなり友好的な関係にあった韓国と日本は、このときから、

険悪な関係に入ったのです)




   日本人の中に芽生え育った反キリスト教感情


  ほぼ300年にわたる、全国的な反カトリック政策は、日本人の心に拭

き去ることができない反キリスト教感情を刻み込みました。多くの庶民にと

っては、理由は何であれ、キリシタンになることもキリシタンと付き合うこ

とも、たちまち死につながる恐ろしいことでした。もともと定着性の強い稲

作文化で、狭い領地に閉じ込められて互いに親密な付き合いをせざるを得ず、

和の文化を大切にして生きてきた日本人が、徹底的な相互監視システムの中

に入れられて、疑心暗鬼の生活を強いられたのです。以前からあった、共同

体生活、温和な和の精神が、強烈な疑いと、排斥と、摘発と、告発による和

となったのです。キリシタンになることは、個人的な危険を招いただけでは

なく、共同体全体の危険を招いたのですから、その恐れは想像を絶するもの

だったでしょう。キリシタンになることはまさに恐ろしい反社会的行動であ

り、国家的重罪となったのです。



  そのような精神構造が形成されたところには、容易にキリシタンに関す

る悪意の物語が作り上げられ、広められて行きました。キリシタンは妖術を

使うとか、人肉を食らうという話がまことしやかに伝えられて、キリスト教

に対する恐怖が増大され、ついには邪宗門とさえ呼ばれるようになって忌み

嫌われたのです。

 
                     つづく
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2010年10月15日

日本人とキリスト教 (1)

日本人とキリスト教
       
  よりよい福音宣教のために
  
       

           
   好感と反感


  現在、一般日本人の間には、キリスト教に対する好感と反感が共存して

います。社会的な感覚としても個々人の感覚としても、同じようにいうこ

とができます。たとえ、キリスト教に対する好感がかなり高いものであっ

ても、反感がそれを上回っているならば、社会としてキリスト教を受け入

れるのも、個人としてクリスチャンになるのも、はなはだ困難なことであ

るはずです。



好感


  キリスト教に対する好感は、主にここ150年ほどの日本におけるキリ

スト教活動の成果といえるでしょう。教会の活動はもとより、学校や病院

などの社会事業、あるいは教育や人権に対する貢献、さらには慈善事業な

ども、キリスト教に対する評価と好感度を高めたことでしょう。あるいは

西洋諸国、いわゆるキリスト教諸国の進んだ文明への憧れが、キリスト教

への好感度の増幅をもたらしたのだと思われます。




    反感


  いっぽう、キリスト教への反感は、好感に比べるともっと根深く、日

本の歴史あるいは文化と深くつながっていると思われます。文化が歴史を

作り、歴史が文化を創ります。キリスト教に対する国民的感覚あるいは感

情も、日本文化の一部として、歴史によって作られ歴史を作り続けていま

す。
    


    
カトリック伝来


  日本人のキリスト教に対する感覚を歴史的に調べると、驚くような事

実に気づきます。まず、16世紀中ごろにカトリックが伝来したときの、

日本人の態度です。(ザビエルの来日は1549年)最初に薩摩に上陸し

たザビエルは、わずか数日の滞在で2000〜3000人の改宗者を得た

と言われています(伝承の違いにより、1年間の滞在で100人の受洗と

も言われている)。これを100分の1と大胆に値引きしても、20〜3

0人です。考えられない速さです。ザビエルの言葉も不十分でしたから、

人々はカトリックの教えをよく理解して受け入れたのではなかったでしょ

う。ただ、天地創造の神を信じたのかマリヤを信じたのか、それともただ、

新しい宗教がよさそうだからそれを受け入れただけなのかは不明です。そ

してその後わずか半世紀、1600年には日本全土におよそ30万人の信

徒を擁するほどに膨れ、1614年の統計では聖職者150名、信徒数6

5万以上、公家2家、大名55名となっています。1600年当時の日本

の総人口は1200万人を少し超えるくらい、現代日本の10分の1でし

たから、これは「ものすごい」数です。
   


       
  たぶん、このころのカトリックの信仰は、まさしく「信仰による救い」

近かったのではないでしょうか。少なくても「信仰のみ」を主張する「改

革派的聖書信仰」が実践した、聖書の理解を前提とした救い、すなわち、

「理解という行いのキリスト教」とは相当違うと思われます。



          
  ともあれ、当時の日本人は、一般庶民から武将や大名たちにいたるま

で、前衛的で善いものは何でも受け入れようという気質に満ちていたよう

です。ただし、この善いものというのは「善悪」の善いではなく、自分に

とって都合の善いもの、益となるものという意味です。特に当初カトリッ

クを優遇した信長などは新しがり屋で、おおいに興味をもって取り入れよ

うとしたのです。仏教の僧侶たちを除いた日本人は、このころ、キリスト

教に対してほとんど反感を持っていなかったことが明白です。




   開国


  徳川250年が終わり、カトリック伝来から300年、日本人は再び

キリスト教に出会うことになりましたが、このときの日本人のキリスト教

に対する感覚は、300年前とはまったく異なっていました。それから、

およそ150年で現代になるのですが、このあいだ、キリスト教は信教の

自由のもと、戦時中のわずかな期間を除いてはほとんど妨げられることな

く、自由に活動できました。万を越えると思われる宣教師たちも日本にや

ってきたのですが、そして日本の総人口も1億2000万人を超えるほど

ですが、クリスチャンの数は100万強です。国民の1%にも満たない有

様です。しかもこの中にはカトリックはもちろん、聖書を神の言葉と信じ

ない「クリスチャン」、キリストが神の子であることを信じない「クリス

チャン」、それからさらに極端な異端まで含まれているのです。いったい

何がこのような変化をもたらしたのでしょう。カトリックの伝来から、明

治の開国までの300年の間に、日本人の心にそのような大きな変化をも

たらす何かが起こったのです。
        
 


   国家的弾圧


  カトリックがすさまじい勢いで広がり始めたとき、為政者たちは早く

も弾圧を始めました。単に少数の者の迫害でも、地域的な迫害でもなく、

これは為政者による国家的な弾圧でした。この弾圧には主に二つの要素が

あったと考えられます。




   権力のバランス


  信長と秀吉は、すぐにカトリックに対する好意的な態度を改めました。

なにが直接の原因であるかは不明ですが、たぶん、総じて言えば為政者と

しての嗅覚だと思います。当時の日本は、天皇を中心とした朝廷と、武家

の二つの権力の微妙なバランスの上に成り立っていました。歴史上、天皇

が実権を持ったことはわずかしかなく、ほとんどは象徴的な権力ではあり

ましたが、将軍をはじめとする武家は、形式上は朝廷から権威を授かった

という名のもとに、実権を振るっていたのです(日本の歴史を通して天皇

の象徴的権力という構図はあまり変わっていません)。このバランスの上

に、絶対の権力を持つ至上の神が加わると、事態は大変複雑になり、微妙

なバランスが危険にさらされます。それは為政者たちにはすぐにわかるこ

とでした。特に、極楽浄土を信じていた一向一揆の農民に手を焼いた経験

がある信長には、カトリックのパライソ(天国)の信仰のおそろしさが、は

っきりと見えたはずです。突然の死を迎えた信長の後を継いだ秀吉は15

87年にキリシタン追放令を出しています。




   植民地主義国家への防衛


  もうひとつの、そしてさらに厄介で深刻な問題が、明らかになりまし

た。1596年12月、土佐沖で難破したスペイン船サン・フェリペ号の

船員が、自分たちの王はまず宣教師たちを送り人々を信仰によって懐柔し

てから、その国を植民地化するのだと説明したというのです。その報告が

まだ幼かった秀頼と、5大老の一人であった家康に届いたために、26聖人

の処刑につながったと言われています。(秀吉はまだ生きていましたが、

どこまで彼が関わっていたかは不明)



  この船員が語ったという話が、事実であったかどうかは定かではあり

ませんが、当時の為政者がポルトガルやスペインに対して、疑いの目を向

け始めていたことは確かのようです。(船員の話は日本側の記録にはなく、

カトリック側が26聖人の殉教の理由を調査しているとき、証言としてでて

きたものです)さらに家康は、4年後に起こったオランダ船の漂着によっ

て、イギリス人のウイリアム・アダムス(三浦按針)やオランダ人ヤン・ヨ

ーステン(東京駅の八重洲口、八重洲通りは彼の名からとられた)を抱え

ることとなり、彼らからキリスト教にもカトリックとプロテスタントがあ

り、カトリック国のスペインやポルトガルが世界中で推進していた、暴虐

非道な植民地政策を知ることになりました。当時、スペインやポルトガル

とイギリスやオランダは敵対関係にあり、日本にもその争いが持ち込まれ

ていたのです。
 


  当時のカトリック国の植民地政策に気づいた家康は、次第にスペイン

やポルトガルに対する不審を強め、ついに外国取引に厳しい制限を設け、

カトリックの信仰をもたらさない中国や朝鮮、そしてオランダなどわずか

な国々とだけ通商をゆるしました。そしてキリスト教の布教をなおいっそ

う厳しく禁じ、弾圧を激しくすることになったのです。

  


   キリシタンの迫害


  秀吉に始まるキリシタンの迫害はとても厳しく、残忍なものでした。

キリスト教が広がることを防ぐ見せしめの意味があったために、ことさら

過酷になったのです。それらの主な点を列挙すると次のようなものがあり

ます。


 @ 刑罰  刑罰には入牢、財産没収、死刑、他者にも刑が及ぶ連座制。

キリスト教信仰をすてても、代々に及ぶ監視。(男子6代まで女子3代ま

で)

 A 報奨金 キリシタンを密告したものに対して与えられる。宣教師、

指導的立場の信徒、一般の信徒と金額は異なったが、非常に高価でしかも

だんだん高額になった。 B 宗門改め すべての人間の宗教を調査して

記録することによって、キリシタンがいないか確認し、これ以上増えない

ようにした。そのために、宗門改め帳や宗門改め人別帳ができた。

 C 踏み絵 疑いのある者たちにキリストやマリヤの絵、あるいはレリ

ーフを踏ませることによって、隠れ潜んでいたキリシタンたちを探し出し

た。

 D 5人組 家長5人から10人を一組とした、つまり、5家族から1

0家族をひとまとめにした相互監視制度。内部の者が告発した場合は、告

発されたものだけに刑罰が及んだが、外部から告発された場合は、組のも

のすべてが連座制で罰せられた。そのために、非常に厳しい相互監視とな

った。

 E 檀家制度 すべての日本人はどこかの仏教寺の檀家とならなければ

いけないという定め。これによってキリシタンが出ないようにした。人々

は檀家寺が発行する身分証明書がなければ、何もすることができなかった。



  この期間の過酷なキリシタン弾圧で殉教したものは全国に及び、その

数は3万にとも30万人とも言われます。

  つづく
             








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